目を覚ましてください。常識という名の呪縛から逃れてください。学校で習ったことは全部忘れてください。あなたは生まれた時から知っているはず。真実はもっと別のところにあるってことを。
2014年04月
今日のつぶやき8
今聴いてみるとどうしたわけかものすごく新鮮なんです。それは元気だったころのビートルズ。
http://www.youtube.com/watch?v=Nz4XoCfsQCI
http://www.youtube.com/watch?v=foxYS8uvZSM
米ぬか酵素グループHP↓
http://www.komenukakoso.jp
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私と英語 Part2
高校は東京都立秋川高校という開校したばかりの学校に居ました。「居ました」という言い方は妙に聞こえると思いますが、この学校は今から50年ほど前に東京都が、当時増え始めていた海外赴任家族の子弟を預かれるようにと、公立高校としては戦後初の全寮制高校として東京都秋川市に建設したユニークな学校でした。五日市線の西秋留という駅から徒歩10分くらいの畑の真ん中の広大な敷地に、校舎、寮棟、教職員棟、食堂、浴場、体育館、職員寮、図書館、そしてそれらの建物をつなぐ渡り廊下といった具合に、一つの小さな町を構成していました。メインストリートには、メタセコイアという名のシダ類の苗木が記念植樹されていて、それは後日巨大な街路樹に成長していました。
学校のコンセプトとして都教育委員会のおじさんたちが考え出したのは、戦前の旧制高校と、視察という名目の観光旅行で訪れた英国パブリックスクール(ケンブリッジ大学などのエリート大学へ進学予定のイギリス貴族の子弟向けの全寮制高校)のイメージをミックスしたようなものでした。そのため、公立高校としては当時としては珍しく、制服は紺のブレザーにえんじのネクタイというこじゃれたものでした。保健婦さんと図書館職員以外女人禁制の男子校で時代錯誤も甚だしい軍隊さながらの寮生活ということで、耐えられず脱落した気の弱い生徒も何人かいたものです。寮の部屋は8人部屋で2段ベッドになっていて、プライバシーはあり得ず、6時にパッパカパーという起床ラッパで飛び起きるとすぐ外で部屋ごとに点呼、しばらくして食堂に集合して朝食、その後登校といった具合で、生活はすべて決められた時間表どおりに団体行動するようになっていて、外出も勝手にできず、軍隊同様に個人の尊厳は完全に無視されていたわけです。
そんなのが温室育ちの現代っ子に受けが良いはずもなく、次第に入学志望者が減りはじめ、生徒確保のために敷居が低くなり、入試の成績に関係なく誰でも入れるような程度最低の学校に成り下がり、やがて廃校になったものです。廃校になっても、ご立派な施設はしばらくそのままになっていて、噴火で避難してきた三宅島の学童の宿泊と授業の施設として使われたりしていましたが、財政難の東京都は、更地にして売却することに決定し、何年か前についにメインストリートの巨大なメタセコイア並木の一部だけ残して、マッサラになり、今現在はどうなっているのか知りません。第二期生の卒業生としては寂しい限りではありますが、結論的には時代錯誤のお役人たちのご都合主義の当然の結果だったのでしょう。
私の場合、このような環境の中にあって、授業も英語と世界史以外の科目はどれも無味乾燥でつまらず、全く学習意欲がわいてこなかったので、3年になったころはほとんど劣等生でした。それでも英語だけは何も勉強らしいことをしなくてもなんとか上位の成績を維持してはいました。多分精神的に幼稚だったのでしょう。自分の将来のことなど完全にノーアイデアで、勉強同様大学受験などもまったく興味ありませんでした。それでも、親の勧めでいくつか私大を受験してみたものの、当然ながら全部失敗。人生で最初の挫折感を味わいながら浪人生活になり、当時横浜にあった自宅近くの予備校に毎日通うはめになりました。
京浜急行の日ノ出町という駅からすぐの横浜山手英学院という予備校で1年間受験テクニックを修業しました。ところが、そこでの英語と世界史のトレーニングは単なるテクニックにとどまらず実に楽しいもので、特に英語については、東大や早稲田で講師をなさっているユニークな先生たちの授業は実に素晴らしいものでした。おかげ様でめちゃくちゃやる気がわいてきて、模試では毎回のようにトップの成績で、ご褒美の図書券が何枚も貯まったものでした。同時に、そこでのある授業で聞いた一言が、英語に対するある根源的な理解を開いてくれたのです。その授業でその早稲田の講師は言ったものです。「君たちが今使っている英和辞典は全部ゴミ箱にポイして、この皮のカバーがついた岩波のやつを買いなさい。これ以外を使ってはだめです。」
普通の英和辞典では、各単語の訳語は使用頻度の順番で並べてあります。ところが、その先生が推奨したものでは、そこが違う。使用頻度ではなくて、その単語の一番古い意味から並んでいる。つまり、そもそもの語源から最近の訳語への変遷が分かるようになっていました。たとえば、forkという語を引いてみると、第一に「分岐したもの」とある。一般的には食器のフォークであるけれど、それは最後に書いてあるのです。そこで分かったことは、その語が本来意味する概念は「分岐」であって、言うなれば、分岐したものは何でもforkであるという至極単純明快な発想でした。これこそがまさに目から鱗とでも言いますか、英語と日本語の発想の違いを本質的に物語っているように感じました。
そして、もう一つの考え方は、2音節以上の単語は、接頭辞、語根、接尾辞の3種のパーツの組み合わせでできているということです。漢字でもやはり同じように冠、へん、つくり、などが組み合わさってできていて、組み合わせのバリエーションで非常に多くの少しずつ異なる意味の文字が作られています。英単語におけるこの3種のパーツは、ほとんどがラテン語起源で、その源流はギリシャ語であるケースが多いのです。現代ヨーロッパの諸言語は、インド・ヨーロッパ語族というグループの枝分かれであって、元を遡ると所謂「印欧祖語」なる古代インドで使われていたであろう言語だそうです。インド人はすごい!
それはさて置き、次回では、そのパーツの組み合わせを実例を観ながら詳しく解説してみたいと思います。
Part3に続く
学校のコンセプトとして都教育委員会のおじさんたちが考え出したのは、戦前の旧制高校と、視察という名目の観光旅行で訪れた英国パブリックスクール(ケンブリッジ大学などのエリート大学へ進学予定のイギリス貴族の子弟向けの全寮制高校)のイメージをミックスしたようなものでした。そのため、公立高校としては当時としては珍しく、制服は紺のブレザーにえんじのネクタイというこじゃれたものでした。保健婦さんと図書館職員以外女人禁制の男子校で時代錯誤も甚だしい軍隊さながらの寮生活ということで、耐えられず脱落した気の弱い生徒も何人かいたものです。寮の部屋は8人部屋で2段ベッドになっていて、プライバシーはあり得ず、6時にパッパカパーという起床ラッパで飛び起きるとすぐ外で部屋ごとに点呼、しばらくして食堂に集合して朝食、その後登校といった具合で、生活はすべて決められた時間表どおりに団体行動するようになっていて、外出も勝手にできず、軍隊同様に個人の尊厳は完全に無視されていたわけです。
そんなのが温室育ちの現代っ子に受けが良いはずもなく、次第に入学志望者が減りはじめ、生徒確保のために敷居が低くなり、入試の成績に関係なく誰でも入れるような程度最低の学校に成り下がり、やがて廃校になったものです。廃校になっても、ご立派な施設はしばらくそのままになっていて、噴火で避難してきた三宅島の学童の宿泊と授業の施設として使われたりしていましたが、財政難の東京都は、更地にして売却することに決定し、何年か前についにメインストリートの巨大なメタセコイア並木の一部だけ残して、マッサラになり、今現在はどうなっているのか知りません。第二期生の卒業生としては寂しい限りではありますが、結論的には時代錯誤のお役人たちのご都合主義の当然の結果だったのでしょう。
私の場合、このような環境の中にあって、授業も英語と世界史以外の科目はどれも無味乾燥でつまらず、全く学習意欲がわいてこなかったので、3年になったころはほとんど劣等生でした。それでも英語だけは何も勉強らしいことをしなくてもなんとか上位の成績を維持してはいました。多分精神的に幼稚だったのでしょう。自分の将来のことなど完全にノーアイデアで、勉強同様大学受験などもまったく興味ありませんでした。それでも、親の勧めでいくつか私大を受験してみたものの、当然ながら全部失敗。人生で最初の挫折感を味わいながら浪人生活になり、当時横浜にあった自宅近くの予備校に毎日通うはめになりました。
京浜急行の日ノ出町という駅からすぐの横浜山手英学院という予備校で1年間受験テクニックを修業しました。ところが、そこでの英語と世界史のトレーニングは単なるテクニックにとどまらず実に楽しいもので、特に英語については、東大や早稲田で講師をなさっているユニークな先生たちの授業は実に素晴らしいものでした。おかげ様でめちゃくちゃやる気がわいてきて、模試では毎回のようにトップの成績で、ご褒美の図書券が何枚も貯まったものでした。同時に、そこでのある授業で聞いた一言が、英語に対するある根源的な理解を開いてくれたのです。その授業でその早稲田の講師は言ったものです。「君たちが今使っている英和辞典は全部ゴミ箱にポイして、この皮のカバーがついた岩波のやつを買いなさい。これ以外を使ってはだめです。」
普通の英和辞典では、各単語の訳語は使用頻度の順番で並べてあります。ところが、その先生が推奨したものでは、そこが違う。使用頻度ではなくて、その単語の一番古い意味から並んでいる。つまり、そもそもの語源から最近の訳語への変遷が分かるようになっていました。たとえば、forkという語を引いてみると、第一に「分岐したもの」とある。一般的には食器のフォークであるけれど、それは最後に書いてあるのです。そこで分かったことは、その語が本来意味する概念は「分岐」であって、言うなれば、分岐したものは何でもforkであるという至極単純明快な発想でした。これこそがまさに目から鱗とでも言いますか、英語と日本語の発想の違いを本質的に物語っているように感じました。
そして、もう一つの考え方は、2音節以上の単語は、接頭辞、語根、接尾辞の3種のパーツの組み合わせでできているということです。漢字でもやはり同じように冠、へん、つくり、などが組み合わさってできていて、組み合わせのバリエーションで非常に多くの少しずつ異なる意味の文字が作られています。英単語におけるこの3種のパーツは、ほとんどがラテン語起源で、その源流はギリシャ語であるケースが多いのです。現代ヨーロッパの諸言語は、インド・ヨーロッパ語族というグループの枝分かれであって、元を遡ると所謂「印欧祖語」なる古代インドで使われていたであろう言語だそうです。インド人はすごい!
それはさて置き、次回では、そのパーツの組み合わせを実例を観ながら詳しく解説してみたいと思います。
Part3に続く
第5回米ぬか酵素グループ加盟店募集説明会開催します
日時 平成26年9月14日(日曜) 13時〜16時
会場 名古屋笠寺ワシントンホテルプラザ第1会議室(定員24名)
愛知県名古屋市南区前浜通1−9 http://www.kasadera-hotel.jp/
主催 米ぬか酵素名古屋緑店 http://www.komenukakoso-nagoya.jp/
共催 合同会社米ぬか酵素
予定プログラム
13:00 開場
第一部
13:30 開会の挨拶 (主催者)
13:35 現状分析と米ぬか酵素の仕事 (グループ代表)
14:15 事業システム (合同会社米ぬか酵素執行社員)
14:45 休憩
第二部
15:00 体験スピーチ (加盟店代表)
15:30 質疑応答
15:45 閉会の挨拶(主催者) 終了片付け
16:00 退室
米ぬか酵素グループHP↓
http://www.komenukakoso.jp
会場 名古屋笠寺ワシントンホテルプラザ第1会議室(定員24名)
愛知県名古屋市南区前浜通1−9 http://www.kasadera-hotel.jp/
主催 米ぬか酵素名古屋緑店 http://www.komenukakoso-nagoya.jp/
共催 合同会社米ぬか酵素
予定プログラム
13:00 開場
第一部
13:30 開会の挨拶 (主催者)
13:35 現状分析と米ぬか酵素の仕事 (グループ代表)
14:15 事業システム (合同会社米ぬか酵素執行社員)
14:45 休憩
第二部
15:00 体験スピーチ (加盟店代表)
15:30 質疑応答
15:45 閉会の挨拶(主催者) 終了片付け
16:00 退室
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今日のつぶやき7
バクテリアから始まって単細胞微生物、植物、動物、私たちまで、あらゆる生き物は、その細胞の中で酵素と呼ばれるタンパク質を自分で作ってもっているんです。酵素がすべての命を支えています。だから酵素は生命の源なんです。そして不足した酵素をそのまま体に採り入れる一番良い方法が酵素浴というわけです。
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今日のつぶやき6
あらゆる病は免疫低下が原因で発症するという単純な事実が理解できれば、どうやったら健康を取り戻せるか誰にでもわかることです。
精神的物理的ストレス、加齢、誤った生活習慣、そして多くの治療薬が免疫を低下させるのです。
慢性病と免疫↓
http://komenukakoso.blog.jp/archives/1734380.html
精神的物理的ストレス、加齢、誤った生活習慣、そして多くの治療薬が免疫を低下させるのです。
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