米ぬか酵素のブログ

米ぬか酵素浴を用いた「酵素温熱免疫療法」の紹介とグループ代表の体験談や論説。

2011年12月

先週NHKBSで放映したスティーブ・ジョブズ の特別番組が再放送されますので、前回見逃した方は是非ご覧になってください。  NHKらしからぬ?とってもよくできた番組でした。

2011年12月31日(土) 午後5時00分〜5時49分 NHK総合
「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ」

酵素温熱免疫療法「米ぬか酵素グループ」としてのメインホームページを作りました。
まだまだ作り始めたばかりで、皆様の体験談などを多数盛り込みながらこれから時間をかけて少しずつ充実させていきたいと考えています。 制作途上ですが、とりあえずご覧いただけたら嬉しいです。

http://www.komenukakoso.jp

このブログで先日書きましたように、先月待望のグループ加盟店第一号としての静岡丸子店がオープンしたわけですが、これをきっかけとして、米ぬか酵素グループとしての総合サイトの必要性を感じていました。 そしてこのサイトは常時更新していく必要があるので業者任せではなく、どうしても自分自身で構築しなければならないと思っていたのです。 ところが困ったことに時代遅れでアイティー音痴の私にはどうして作ったらいいのか全く分からず悩んでいたのです。 そんな時ネットで偶然見つけたのが「みんビズ」というサイトでした。 説明によると、ほんの3ヶ月前にグーグル、KDDI、そしてJimdoというソフトメーカーが共同で立ち上げた中小企業や個人商店向けに始めたサービスで、このシステムを使うと誰でも簡単に立派なホームページを作ることができるし、おまけに最初の一年はドメイン登録も含めて一切無料ということで、これを利用しないのはもったいないし、2年目以降継続の場合でも月々ラーメン二杯分くらいの料金で使い続けられるというなんともお得な料金設定になっているのが気に入ったのです。

実際に登録してドメインをもらい、ソフトを使ってみると、これが意外に使いやすくて、大いに気に入りました。
ある程度PCを使い慣れている方でしたら、本当に短時間に誰でも自分の好きなようにHPを作ることができますし、その過程もゲーム感覚で楽しむことができます。

何かの商売をされていてこれからHPを作って低コストで運用したいと考えていらっしゃる方がいらしたなら、これって絶対にお勧めですよ。

私たちはどうも科学という言葉に弱いような気がしますが、そもそも科学という言葉自体まったく意味をなさない奇妙な造語と言えます。  英語の「SCIENCE」に相応することになっているのですが、その本来意味するところにまったくふさわしくない訳語なのです。

SCIENCEの本来の意味は、SCI(知る、識る)+ ENCE(こと…抽象名詞の語尾)ですから、「知ること」或いは「識ること」となります。  一方「科学」の「科」は、「科目」、「理科」、「社会科」とか、「人事課」や「捜査一課」などに使われている「科」または「課」であって、その性質や内容によって分類された部分であるから、「科学」とは物事を細分化し命名し分類する学問ということになります。

科学技術は私たちの暮らしを便利で快適にするために多大な貢献をしてきたことは確かな事実でしょう。 しかし一方では、科学的思考が本質的に持っているまさにその細分化,命名、分類という一連のプロセスによってとてつもなく大切なものが失われてきたようです。 その大切なこととは、つまり、他者との関係、宇宙はひとつであり、その中に存在するものはすべてそのひとつの一部を構成している部分であるという考え方です。 別の言い方をすれば、部分は全体であり、全体は部分の集合体であるとする考え方ともいえます。 

万物は連続していて、人間が作った物差しで必ずしも細かく分類などできるものではないのではないか。 そのようにして、科学(分類)することによって、却って本質からかい離してしまうのではないかという危惧が生じます。 この良い例は現代医学が犯している過ちを見るとよく理解できます。 病院に行くと、様々な「科」があります。 内科、外科、泌尿器科、呼吸器科、循環器科、消化器科、皮膚科、産科、婦人科、精神科、心療内科などなどです。 そして、それぞれの科には担当の専門医というのが存在します。 彼らは自分の専門というちっぽけな部屋に閉じこもっていて、他の部屋の中、あるいは外の世界のことを知ろうとしません。 こういうのを俗に島国根性とか縄張り根性とかいいます。

自動車やコンピュータのような機械ならまだしも、人間の体はそれこそ一体であって、そもそもそのような部分に分けて取り扱うなどということ自体があってはならないはずです。 体のあらゆる臓器、組織、さらには個々の細胞に至るまで、そのすべてが、神経の電気パルスや体液を流れるホルモンなどの様々な物質、さらには未知の媒体(多分存在するであろう)を介して密接な連携を保ちながら個体の生命と種(DNA)の保存という共通の目的のために働いているわけですから、部分的な支障は必ず全体に影響し、またその逆に全体的な支障、例えば脳卒中でいつも見られるように脳など中枢神経系における障害は様々な部分へ症状として発現することになります。 さらには、心の病は体を痛め、体の病は心を痛めることにもなります。

部分は全体であり、全体は部分でもある。 このように考えるのはホリスティックな思考と言います。 この言葉の中心は“whole”(全体)であって、その音からわかるように、ヘルスやホーリー(聖なる)とも関係しています。 別に医学に限った話ではなく、ホーリズム(全一主義とも呼べる)はもっと大きくて普遍的な思想であります。 体を全宇宙に置き換えるとしたら、一人一人の人間は細胞であって、宇宙の一部ということになり、宇宙と人間は一体であるというわけです。 このホーリズムに関しては非常に奥の深い話になりそうなので別の機会にまた考えてみたいのですが、ここで本論に戻ります。

さて、科学の用語的意味論とは別に、それが必ずしも万能ではあり得ないもう一つの重要な根拠が存在します。 それは人間の五感における生物学的限界に起因します。 普通五感の中で最も中心的なのは視覚と聴覚です。 私たちはこの世界のすべてを見たり聞いたりできていると思っていますが、それは錯覚に過ぎません。 実際にはほとんど見えていないし、聞こえてもいません。

光は電磁波という波の振動で、音は空気の振動による波です。 それぞれには反比例する振動数と波長があって、超低周波から超高周波まで無限の広がりをもっていますが、残念ながら人間の目や耳が感知しうる周波数の幅は極めて狭い範囲でしかないのです。 人間の場合、視覚においては、電磁波の内の赤として認識できる波長から紫に見える波長との間の可視光線と呼ばれる極めて狭い範囲の周波数帯の光しか見えません。 無限の拡がりを持つ電磁波のうちのほんの一部ですから、客観的にはゼロに近いといえるでしょう。 ですからほとんど何も見えていないということになります。

このように私たち人間の認識というものは極めて狭い(ほとんどゼロに近い)わけですので、その認識に基づく脳での思考も極めて限定的にならざるをえないのです。 ですから分かったつもりでも実は何も分かっていないということになります。 科学信仰がいかに危ういものであるかということの大きなな理由はここにもあります。







二つの世界があります。 一つは闇の世界でもう一つは光の世界です。
人は闇の世界ではなくて光の世界に生きるべきです。
何故なら、人は光の世界でしか本当の幸福を得ることができないからです。

闇の世界を支配するのは欲であって、光の世界を支配するのは慈悲です。
欲の世界で人は、金儲けのための計算と策略、そして、嘘と騙しに囚われて生きています。 一方、慈悲の世界では、人は、あらゆる“こだわり”から解き放されて万物に感謝することで自由自在に生きることができ、真実の心の平安を得ることができます。 また、そうすることによって初めて物事の本質が見えてきたりします。

欲に囚われていると、人は盲目になって真実が見えませんから、ついつい儲け話に乗せられて詐欺にあったり、インチキな宗教やネットワークビジネスにはまったりして、自らが騙す側にもなったりします。 それくらいなら良い方で、果ては病気になり、騙しの治療を盲信して大変な苦痛を味わいながら命さえ失うことにもなりかねません。

欲にも2種類あろうかと思います。 光の世界の欲と闇の世界の欲です。
光の世界の欲とは、真理と善と美を求める欲と、それを実現するための欲です。
そしてこの欲は、誰でもが持つべきです。 言い換えるならば、それなくしては、人は本当に満足できる人生を終えることはできないだろうと思えてならないからです。 真理と善と美を追い求める心は最終的に慈悲の心につながっていくはずです。


地球上の生物は、酸素が好きか嫌いかという観点から大きく2種類に分類することができるようです。 46億年前に地球が誕生したときは、酸素はほとんどありませんでした。 ですから、およそ38億年前に発生したとされる生命体(細菌)は酸素の無い環境で生きていました。 そのような時代が非常に長く続いたのです。 ところがあるとき酸素を発生する生命体が発生した。 何10億年か後に人類によって「シアノバクテリア」と呼ばれるようになるこの細菌は、太陽光線のエネルギーによって二酸化炭素の中の炭素を取り出し、不要になった酸素を吐き出していました。 最初は海水中の酸素濃度が上昇し、海水に溶けていた鉄分を酸化鉄に変えて海底に沈殿させ、その鉄が人類の文明を支えています。 シアノバクテリアとその後地表で繁茂し始めた植物たちは非常な勢いで増え続けて地表を覆ったので、大気中でも酸素濃度が上がり始めたのです。

古い細菌たちは、もともと酸素のほとんどない環境で生きていましたから、酸素は毒になりますからたまりません。  それで彼らは皆酸素がより少ない環境に避難しました。
一方、古い細菌たちの中には、突然変異による適応で何とかして酸素を利用できるようになったものたちが出現しました。  酸素はあらゆる物質を酸化し燃焼させますから生命体にとっては非常に厄介で危険な物質ですがそのかわり燃焼は大きな熱、つまりエネルギーを発生しますから、上手に利用できれば生命体の成長や活動そして進化にとって強力な味方にもなります。  このため、酸素を避け続けた保守的な古い菌たちはそののち何十億年も現在に至るまでほとんど進化することなく陽の当らない暗い湿った酸素の少ない環境で生き延びてきました。

他方、酸素を積極的に利用し始めた細菌たちは、合体し共存しながら、より複雑な機能を併せ持つより大型の、核をもつ真核細胞に進化して、集まってコロニー(集団)を形成するようになりました。 コロニーの中ではいくつものグループが生まれ、それぞれの役割分担がきまってきて、やがて全体としてひとつのまとまったシステムを構成することになります。  それまでの単細胞生物から多細胞生物に進化したのです。  この過程で注目すべきことは、いくら酸素を利用するといっても、やはり化学現象としての酸化は避けられませんから個体は老化し寿命がきます。 進化した多細胞生物にあっては、活性酸素を消去するSODなどの酵素を作り出して寿命の延長を図っていますので寿命に至る前に、細胞分裂、あるいは生殖によって種の存続が行われてさらなる進化が続きます。

大気中の酸素濃度が生命体にとって生命の維持に十分なほどに上昇すると、最初は海中で暮らしていた多細胞生物は次第に陸上に進出するようになり、何億年もかかって複雑な知性をもった当面の究極的生命体である私たちになったというわけです。 ですから私たち人類はもちろん、蟻から象に至るまで肉眼で見ることが可能なあらゆる多細胞の動物と核を持った非常に多種類の単細胞の微生物は酸素が好きな生物のグループに所属しています。 酸素が嫌いな生物は核を持たない微細な細菌で、酸素の少ない場所に隠れていますし、すべて単細胞で非常に小さいですから、通常私たちの目に触れることはありません。 だからと言って決してマイナーな存在ではなく、その種類も数も莫大です。

酸素が好きな(好気性)菌は、私たちと同じ環境で暮らしていて性格も似ていますから酵母菌や乳酸菌や納豆菌などのように私たちと共存共栄しているものが多い。 それに対してもう一方の勢力である酸素が嫌いな(嫌気性)菌達は私たちとはまったく異なる酸素が乏しい環境で生きていますから、私たちとは相性が悪いものが多く、時として、私たちの立場からは悪性菌として甚だ不名誉な呼ばれ方をする者たちがいます。 これらの菌の中にはO-157やサルモネラ菌などのように人や動物を死に至らしめるような強力な毒素を出すような極めて危険なものもいるのはご存じのとおりです。

つまり、うんと大雑把に申しますと、この世界は、酸素が好きなグループと嫌いなグループとう二大勢力の勢力争いの場となっていて、地球上の酸素濃度がこのままであれば、わたしたちのグループは優勢を保っておられるわけです。 ところが、ここに由々しき問題があります。 最近の調査によれば、化石燃料の大量消費や人口増大それに熱帯雨林の伐採などによってCO2の増大に伴い大気中の酸素濃度が低下してきているというのです。  本来空気中の酸素濃度は21%くらいあったのが、最近、特に大都会では15−16%くらいまで下がってきているというのです。

酸素をもっとも必要とするのは脳ですから、酸素濃度が極端に低下すると意識不明となり、死に至ります。 5%程度の低下でしたら、そこまではいきませんが、それでも影響が無いとは言い切れません。  気がつかないうちに、脳の活動が低下するばかりか自律神経も変調し、代謝が落ち、体全体の生命エネルギーが不足気味になりますから、慢性的に体がだるくなったり、冷えがきたりして結果的に免疫力が低下します。 昨今の癌をはじめとする慢性病の蔓延もこれが原因のひとつになっている可能性が否定できません。 さらには生殖細胞の活性が失われ、種の保存が困難になったりもします。 つまり、好気性のグループには不利な環境になります。 これに対して、嫌気性のグループにとっては酸素という彼らにとっての最大の脅威が減るわけですから有利な環境になり、そのテリトリーを拡大する絶好のチャンスとなります。  つまり私たちの免疫力が下がり、同時に悪性菌が増えて勢いづくことになりますから、未知の疫病が蔓延することにもなりかねません。 近年、二酸化炭素濃度上昇による温暖化の問題ばかりがクローズアップされていますが、人類は他にもこのような深刻な問題を同時に抱えているということを認識すべきでしょう。

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