米ぬか酵素のブログ

米ぬか酵素浴を用いた「酵素温熱免疫療法」の紹介とグループ代表の体験談や論説。

2008年10月

3
夏川検事が実際に笹川氏に出会ったのは国中がロッキード事件で大騒ぎになっていた最中でした。 東京地検は国際興業の小佐野賢治氏や児玉誉士夫氏との親交が知られていた笹川氏に関心を寄せていて、事情聴取のため夏川検事を別件捜査の名目で送り込んだ。 ところがどっこい笹川氏は想像以上の大物で、事件につながる供述は一切得られぬばかりか、逆にすっかり丸め込まれてしまったものでした。ただ、熱海の研究所の件では、夏川検事自身大変お世話になったこともあり、事情聴取などはすっかりそっちのけで、その話題で大いに盛り上がったものでした。 その後の捜査でも笹川氏がこの事件に関与していたということを裏付ける供述も証拠も得られなかったため、このルートの捜査は打ち切られました。

それから数十年の歳月が流れ、夏川検事は定年退官され、しばらくぶらぶらしてから退職金の一部を元手に趣味と実益を兼ねて居酒屋でも始めようかと考えておったが、熱海で出会った酵素風呂のことなどはほとんど忘れかけていたのでした。 そんなある日の夜遅く、酔って大いびきで寝込んでいた夏川氏宅の電話がけたたましく鳴ったのです。寝ぼけ眼をこすりながら電話に出ると「笹川じゃが・・」と電話の主。「笹川だと? 知らんな、いったいどこの笹川だってんだ!こんな夜更に突然失礼な・・・」と元検事。しかし、ハッと気がついて「ひょっとしてあの笹川先生では?」 「あのもこのもない。その笹川じゃ。」 「突然私にいったいどんな御用なんで?」 「実はな、あんたもよく知ってる例の酵素風呂なんじゃがね、わしも年でな、ぼちぼち引退しようかと考えておるんじゃ。今の情勢では、船舶振興会は運輸省の管轄になることは避けられないし、わしもそのほうがよいと思っている。 しかし酵素風呂はどうしても後世に残したいので、誰かに引き継いでもらいたいのだが、あんたが候補に挙がったというわけだ。どうだ、やってくれるか?」 商売人の笹川氏のこと、まさかただでくれることはなかろうと思ったが,念のため「ただでいただけるんでしょか?」と元検事。 「馬鹿を言うな。 いったいその開発にいくらかかっているのか知らんじゃろうが、はっきり言って安くはない。しかし、あんたには払える。そんなことはとっくに調べてあるんじゃ。実家の山を売ればそれくらいの金額になる。」

そんな具合で昔と同じようにまたもやすっかり丸め込まれてしまった元検事は、結局父親名義の山林を勝手に売り払ってしまって、その金で笹川先生から酵素風呂とそれに関わる研究成果とノウハウの一式を買い取って、その仕事を始めたのでした。

vol.8に続く

その熱海の酵素医療研究所ですが、そこでは会員制での営業もしていたそうです。そのオーナーであった笹川氏は政財界はもちろん芸能界にも多くのコネクションがあったのでその方面の多くの方たちが会員になってしばしば酵素風呂に入りにきていたようです。

会員の中には当時はまだお若かった長嶋茂雄さんや森光子さんもいらしてよく利用されていたそうでした。 また日劇ダンシングチームの踊り子さんたちもしょっちゅうみえていたようです。スポーツ選手や俳優さんたちはあくまでも体が資本で風邪をひいたからといって大事な試合や撮影や舞台あるいはテレビ出演などを休むわけにはいきません。ですから、健康の維持はそのような人たちにとっては大切な仕事の一部であるわけです。それにそのハードなスケジュールと言ったら並み大抵ではありませんから、素早く仕事の疲れを取り元気を取り戻しておくことが一般人の何倍も重要な仕事になってくるわけです。

また女優さんでしたら美しいお肌と体形を維持するのも健康の維持と同じくらい重要な仕事のはずです。 このような切実な要求にとって、全身の細胞を活性化して元気にして免疫力を高め、若さを保ってくれる米ぬか酵素風呂は当時としてはかなり高額の会費を支払っても、まさしくこの上ない理想的な手段であったわけです。 不老長寿の方法を模索し、医学の発展にも強い関心を抱いていた笹川氏にとって、この米ぬか酵素風呂の完成は大変喜ばしいことであり、当然ご本人も毎日愛用され、出張の際は必ずご自身の乗られるベンツは酵素風呂を収めたトレーラーを牽引していたそうです。 その結果、晩年になっても自らテレビCMに出演されたりして96歳でその波乱に満ちた生涯現役の人生を閉じられるまで元気にお過ごしになったのでした。

Vol.7に続く



3
若き日の夏川検事が連れていかれた熱海市内のその場所は、以前或る大手製薬会社の会長が別荘として所有していたものを、戦犯として拘留されていた巣鴨プリゾンを出所されて間もない故笹川良一氏(笹川氏に関して詳しく知りたい人はは別途検索してください)が買い取って、酵素の研究施設として使用していた建物でした。 酵素の存在と、それが生命の維持ににとってどれほど重要な働きをしているかということに関しては、すでに戦前から数多くの研究がなされていましたが、健康維持や疾病の治療といった実用に供するためにいかにして体内に取り込むべきかという点が研究の最大のポイントでした。 一番簡単なのは、当然経口服用ですが、それだと胃酸でかなりの部分が分解され、効率が悪い。 そこで考えられたのが、全身の皮膚をとおして吸収してはどうかというアイデアでした。 皮膚から吸収なんてことが実際可能なんだろうか?と思われる方がいらっしゃると思いますが、実際人間の呼吸の70%は皮膚呼吸に頼っているし、様々な有害化学物質も経皮毒として皮膚をとおして体内に入り、アトピーやガンの原因になっていることを考えれば理解できるでしょう。 そこで次なる課題としては、いかにして効率よく皮膚から吸収させるかという点になるわけですが、誰でもすぐ思いつくのは「お風呂」にきまってますね。 つまり酵素のお風呂となるわけですが、単純にお湯に酵素を混ぜて入るよりも、もっと濃密に酵素が充満している環境に体を置く方がよいにきまっています。 その環境とは、酵素をせっせと生産してくれる微生物が天文学的に増殖し、同時にそれらが生み出す酵素がいっぱいになる環境となります。 つまり発酵が盛んに進むような条件が必要になります。  この点でいろいろ試行錯誤が繰り返された模様ですが、最初の段階では、おがくずを入れた桶に土壌から抽出した微生物を振り撒いて水を与えて発酵させていたようですが、いまいちパワー不足でしたので、最終的には、わが国に豊富で安価でかつミネラル、ビタミンなどの栄養素が多い米ぬかを使用することになったのです。 また、米ぬかのタンパク質は微生物にとって最高の食糧ともなるわけです。  そこに水と空気を十分に与えて微生物を培養すれば、どんどん増殖し、桶の中は、微生物と、その生み出す酵素とで充満するし、(微生物の代謝物に酵素が混じる、また、寿命が尽きると細胞膜が破れ、中の酵素が環境中に出てくる)同時に発酵に伴う熱(微生物の体温とでも言えましょう)が発生し、米ぬかと微生物と酵素と水と空気が混じったさらさらのパウダーは66度くらいまで熱くなります。 それ以上の70度を超えると微生物は自滅することになるので、当然それ以上には熱くなりません。 66度といってもお湯とは違って空気の混じった粉末ですので体感温度は43−44度となり、さして無理なく15分程度までならじっとその中に埋もれていることができるわけです。 全身の皮膚をとおして酵素、ミネラル、ビタミンを吸収するのが目的ですから、素っ裸で顔だけ残して全身その中に埋もれるのです。 徹底したい場合は、鼻と口だけ残して顔も埋もれてもよいのです。

この熱海の研究所では幾多の試行錯誤を繰り返した後、最も効率よく体温を上げながら酵素を吸収できる米ぬか100パーセントの酵素風呂が完成されたのです。

Vol.6に続く

4
この元検事の先生、お名前はそう、とりあえず夏川氏とでもしておきましょう。と言いますのは、それは私がお会いした時点での奥さまの苗字で、それまでに何度も苗字が変わり(離婚再婚を繰り返すたびに)、本名がはたして何だったのか本人も定かではなくなっている模様??戦後間もなく東大法学部を卒業なさって法務省に入省され、戦勝国アメリカの「民主的」司法制度を学ぶため貨物船で渡米、ワシントンで当時のFBI長官(フーバーさんだったか)と対面したそうです。その後帰国されてからはエリート検事としてのキャリアが始まったのですが、柔道で膝を痛められて半年も医者通いをしても一向に改善せず、松葉杖が離せず、たまたま仕事の関係で訪れた熱海駅のホームで大学時代の先輩に出くわすことに。 その先輩曰く、「夏川、そのザマはいったいどうしたっていうんだい?何、膝が痛い?運のいいやつだな。ちょうどいい。俺について来な。そんなもん2週間ですっかりよくなるって。」 何のことかまったくわからぬ夏川検事、それでもここはひとまず先輩の顔を立てるしかないかと判断し、よれよれとついていくことになった。人の出会いとは不思議なもので、まさにそれが彼と酵素風呂との出会いでした。その日から2週間、言われるままに毎日酵素風呂に入ることになり、回数を重ねるたびに痛みがやわらぎ、最初は半信半疑だった夏川検事も「これはいけるかもしれん」と思うようになり、2週間後、見事約束どうり松葉杖なしですたすた歩けるようになったのでした。その後、半年お世話になった医者のところに報告に出向き、「すっかりよくなりました」と言うと、「それはよかったね」の一言だけ。頭にきた夏川検事は「そりゃーねーだろう」とその医者をぶんなぐってしまったそうな。(当然ながら検事にあるまじきこの暴挙は後日省内で問題になったであろうことは想像に難くありません。)

その夏川検事が酵素風呂という見たことも聞いたこともない不可思議な療法と出会い、そしてその驚くべき効果を実感した熱海市内の場所こそが我が国における酵素風呂発祥の地点でありました。

次回Vol.5につづく

このページのトップヘ