広島へ出張したついでに、かねてから一度訪ねてみたかった江田島に行ってまいりました。
橋で結ばれているこの瀬戸内海に浮かぶ小島には広島市内から車で陸路2時間近く(およそ全行程50キロ以上の長い長い曲がりくねった道のり)、途中フェリーを使っても1時間半くらいはかかる結構辺ぴな場所にその場所、つまり広大な国有地である江田島町が存在します。ここには海上自衛隊の主要教育施設としての第一術科学校と幹部候補生学校があります。幹部候補生学校というのは、将来のリーダー、つまり、企業で言えば管理職を養成するための学校で昔は士官学校と呼ばれていました。明治以来、四方を海で囲まれている日本を守る軍事力の中心は海軍でした。その海軍を率いる多くのリーダーたちが最初に軍人としての訓練と教育を受けたのが、昭和20年の敗戦までこの地に存在した海軍兵学校でした。

                  旧海軍兵学校正面玄関↓P3190032
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          兵学校校舎全景↑

私が何故このような場所を訪ねてみたいと思うようになったのかには理由があります。
ここは、私が高校生の時に若くして突然亡くなった父がその青春の一時期を過ごした場所だったからなのです。父は第66期生で、今から75年前の昭和13年にここを卒業し、茨城県の霞ヶ浦で飛行訓練を受け、偵察機のパイロットとして戦艦陸奥、空母赤城などに配属されながら戦争を生き延びて、戦後は航空自衛隊の幹部としてその立ち上げと発展に尽力した人です。

映画「坂の上の雲」にも登場した旧海軍兵学校の赤レンガ造りの巨大かつ荘厳ともいえる校舎は現在もそのまま幹部候補生学校として使用されています。その向かって右には、大理石の大講堂、そして左には、歴史資料館と術科学校の校舎があります。江田島には毎日のように全国からかなりの人数の人々(大抵は学生のご両親やOBである自衛官や旧海軍出身者でしょうが)が来訪するようで、その方々に主な施設を紹介するためのガイダンスのシステムがきちんと用意されています。平日は午前中1回と午後2回の1日3回の行程約90分のツアーが組まれていて、来訪者がその時間まで待機するための専用の場所まで設けられているのにはびっくりします。その待機所にはレストラン、トイレ、ミニ博物館、さらには高速道路のサービスエリアさながらの土産品店まで用意されていて、待ち時間は海自の広報ビデオを観て過ごすようになっていて、甚だ気が利いています。
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         大理石の殿堂 大講堂↑

ツアー開始時間になると、専門の案内人(多分OBの退役自衛官とおみうけします)が登場し、簡単なブリーフィングのあと彼に続いて一同カメラ片手にぞろぞろと出発し(今回は15名くらいでかなり少ない団体だそうですが)、大理石の殿堂、大講堂に向かいます。たまたまでしたが今日は3月19日で、明日の20日(春分の日)には、この場所で幹部候補生の卒業式が予定されていて、大理石のフロアにはびっしりと隙間なく折りたたみ椅子が並べられていました。講堂には、マイクやスピーカーなどの音響設備は一切無く、話はすべて肉声で行われるそうですが、実際この建物の中では、小さな音でもよく響くような工夫がされています。

            講堂内部 正面演壇には国旗と軍艦旗が掲揚されています↓
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卒業式前日の今日は、海上幕僚長など数多くの来賓たちが続々到着するので、清掃作業などで忙しいのだそうです。ガイドの話によると、卒業生の座る場所はすべて成績順に決められていて、その順番で正面の演壇に上がって卒業証書を受け取るのだそうです。学校の真ん前の海にはお迎えの護衛艦が待機していて、式の翌日には全員その艦に乗艦し、世界一周の修学航海に出発するのだそうです。無論これも教育の一環であってその航海中には艦上で、食事のマナーとか社交ダンスの講習などもあるということで、そのあたりはいまだにお洒落を尊ぶ旧海軍の伝統が生きているようで面白いと感じ入りました。

講堂を出るとその向こうに赤いレンガ造りの巨大といいますか、横幅がやたらと長い建物が屹立しています。これがこの地の中心であって現在は海上自衛隊幹部候補生学校として使われている旧海軍兵学校の校舎です。私の父もここで座学を学んだわけです。ガイドの説明によると、兵学校は明治初期の創立当初は東京の築地にあったのが、後にこの地に移されたのだそうです。嘘か本当か知りませんが、賑やかな銀座の近くでは血気盛んな若者には余計な刺激が多すぎて勉強に身が入らぬ心配があって、それで、人里離れたこの島に移したということで、その意味では江田島は抜群のロケーションと言えるかもしれません。

赤レンガの壁 イギリスから輸入したこの赤レンガは高温で焼かれた非常に硬いもので、1個数万円もする高価な代物でした。表面はつるつるしています。↓P3190036P3190040
歴史資料館↑

赤レンガの先にはまたもや荘厳な歴史資料館があり、内部には数千点に及ぶ旧海軍にまつわる貴重な資料が教材として展示されていて、この日も大勢の学生さんたちが見学していました。ここには国のために命を捧げた多くの英霊たちの遺書なども保存されていて、入館に際しては敬意を表すため、脱帽と一礼が義務付けられていて、写真撮影も禁じられています。館内の一角には卒業期別の集合記念写真と毛筆の名簿の写真がきちんと展示されていました。父は第66期であったので、その期の集合写真を仔細に眺めてみても、200数十人の写真は細かくて、高倍率の拡大鏡でも使わない限り顔と名簿の確認には相当時間がかかりそうで確認は今回は時間が無く断念したのですが、ガイドの栃本さんはそのような事態に対処できるように大きな虫眼鏡を常に携帯しておられる様子で、「そんなことなら早く言ってくれたら調べておいたのに」とご親切におっしゃっていただきましたので、次回は是非そうさせてくださいと申し上げて別れました。本当に機会があったら、是非また来て確認したいと思っています。
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往路は陸上を走り、結構長い道のりで、年度末のせいか、あちらこちらで道路工事のため片側通行になっていて非常に時間がかかったので、帰りは呉までフェリーに乗ることにしました。自衛隊の施設を出てまっすぐ港へ向かうとやがて広々したフェリー乗り場に到着し、タイミングよく10分ほど待って乗船できました。私のハイエース以外には2台しかいませんでしたので、採算はとれているのかな?などと少し心配になりました。全長4〜5mの普通車料金は1500円。30分の航海で昨年訪問した呉の大和ミュージアムのすぐ脇の桟橋に到着しました。P3190044

大和ミュージアムに立ち寄った時も同様に感じたことがありますが、国防というのは実に大変な仕事だということです。国土を守り、国民の生命と財産を守るためには莫大な費用と労力と知恵が必要だということはよく理解できたのですが、私にはそれ以外にももっと目を向けるべきことがあるのではないかという気がしています。国民の生命を守るはずの戦争で何百万人もが戦死し、空襲や原爆で大勢の一般市民が殺されてしまいました。一体誰のための戦争だったのか大きな疑問が残るわけです。

海上自衛隊第一術科学校の公式ホームページはこちら↓
http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/index.html

米ぬか酵素グループホームページ↓
http://www.komenukakoso.jp