米ぬか酵素のブログ

米ぬか酵素浴を用いた「酵素温熱免疫療法」の紹介とグループ代表の体験談や論説。

タグ:医学

3
その自称元検事のことですが、実に興味深い人物でした。見た目では、60代半ばくらいかとお見受けしましたが、本人いわく74歳で1歳の子供さんがいらっしゃって、奥さまは38歳でなんと7人目の奥様だそうで、年の差36歳。年齢の割には肌はすべすべでしみもしわもほとんどなく、髪の毛こそ薄くはなっているものの、体格は立派だし、姿勢もいい。そして最大の特徴は、右腕上腕部の骨が無いのに右腕をちゃんと使いこなしているという点でした。それは世にも不思議な光景で、目撃した人は例外なく唖然とします。右肘の関節が存在しないので、そこから下の部分は360度いかなる方向にも向きを変えられるのです。それ自体は至極当然とも思えますが、にもかかわらず右手は完全に使えて趣味の大工仕事も自由自在で器用そのものなのです。お話によれば、仕事で比叡山の付近を公用車で走行中、70メートルの崖下に転落、運転手は即死し、自分は右上腕部複雑粉砕骨折の重傷で病院に担ぎ込まれ、医者の見立てでは、治癒の可能性はないので、肩から腕を切断するしかないとのこと。ところが、彼は腕とさよならしたくなかった。そこで思い出したのは、その昔お世話になった熱海の酵素医学研究所の酵素風呂でした。 
包帯でぐるぐる巻きの右腕を抱え、病院を脱出し、熱海に向かったのです。 来る日も来る日も酵素風呂に入って半年が過ぎましたが、骨だけでなく神経も完全に切断していたので、手は相変わらず、全く動きません。やはりだめか・・と失望感に落ち込みながらも、それでもきっと治ると信じ、入り続けたのです。そうして八か月目に入ったある朝、右手の指先がピクリと動き、これでもう回復すると確信したそうです。その後は確信のとおり順調に回復し、間もなく右手は自由に使えるようになったそうです。   次回に続く。

3
お待たせしました。非常に多忙でしたので少し予定より遅れてしまいましたが、Vol.2行きます。その前に二つほどお断りしておかなくてはならないことがあります。このシリーズは一切脚色無しの実体験をお話するものですが、登場人物の名前はプライバシー保護のため仮名にしてあります。また、日時、検査結果などの詳しいデータについては、きちんと日報などを記録していたわけではなく、記憶を頼りにして書いている関係上、やむを得ず多少正確さに欠ける点がありますことを予めご了承願います。

そうして毎日2回の酵素風呂通いが始まったわけですが、さほど面倒というこもなく、むしろ何かにチャレンジするという感覚で、間もなく日課として私の生活の一部になりました。朝9時に藤枝の家を出て国道一号線バイパスを静岡へ向かい、「その場所」には10時15分前に到着します。オーナーの杉山さんが開店時間ぎりぎりに到着して鍵を開けるのを待って、あとに続いて薄暗い店に入ります。私はいつも最初のお客でした。2月末ということもあって朝はまだ寒く、穴を掘った桶からはもうもうと湯気が立ち上っています。ぬかに掘られた穴に仰向けに寝て、大事なところをぬかをかけて覆うのですが、これがなかなか大変なのです。感度良好な部分だけにぬかの熱さがビリビリきてたまらんので思わず「アッチー!」と叫んでしまいます。なんとか覆い隠してから「お願いしまーす」と言うと、杉山さん、待ってましたとばかり、その熱いぬかを無造作に私の全身にばさんばさんとかけてくれます。最初の10分くらいはよいのですが、最後の5分は、あと何秒というようにカウントダウンしながら必死に熱さを耐えしのびます。シャワーを浴び、待合室に戻るとぐったりです。全身に赤いまだら模様が浮かび上がって、火傷一歩手前みたいな感じ。3−4時間もすると元の状態に戻り安心します。私が出る頃には他のお客さんたちも次々に来店し、待合室ではいろいろな話が飛び交うようになります。「私がんなんです。」「いやあ、実は僕もがんでね。」などと開けっぴろげな話となります。皆がうつむいて押し黙っている病院の待合室とはかなり雰囲気が異なります。11時頃には店を出て、家に戻り、1時間ほど昼寝をして、昼食をとり、そのあと3時間ほど自宅の事務所で仕事をして(SOHOでしたので)4時過ぎにまた静岡に向かうのです。夕刻には時折、例の大御所のおじいさんが店にきています。杉山さんが「先生」と呼ぶその大御所は、先生というよりはむしろやくざの親分といった感じの鋭い目つきをしていましたが、笑うとまるで子供のように可愛い。名刺には「日本酵素医学研究所」と何やら怪しげな名称が。自称元検事を名乗るその爺さんの話術の得意なことといったら天下一品で、ご自身の検事としての体験や、酵素風呂に関わるようになったきっかけなど興味深い話が延々と続くのです。次回はそんな話の中から酵素風呂に関連したいくつかのエピソードを拾ってみたいと思います。

5
今から十年前、私は5年生存率0パーセントの進行がん患者でした。平成10年の1月に近くの病院で中期の大腸がんの切除手術を受けました。がんは上行結腸の中間あたり、つまり盲腸の少し上方にありましたので、上行結腸のほぼ全部と付近のリンパ節を取り去ってもらったのです。 これで済んだとほっとしたのも束の間、事前の検査では発見されなかったのですが、肝臓に転移があったのです。(このことは退院するまでは私には伏せられていました。)この段階で私は現代医学的には5年生存率0パーセント、つまり不治のがん患者となったのです。院長は再手術を勧めてくれましたが、知り合いの医師に今でいうセカンドオピニオンを問うたところ、たとえCTで確認できた転位巣を切除しても肝臓内部には多くの微小転移が点在している可能性が大きいので、再発の可能性が高いのでお勧めしかねるとのコメントをいただきました。それで退院後ひと月ほどは、どうしたらよいものか分からずに不安と絶望の日々を送っていました。

そんなある日、知り合いから、酵素風呂というのがあって、がんに良いらしいから試してみてはという助言がありました。 酵素の風呂などというものはそれまでに一度も聞いたことがなかったので、どんなものか全く想像もできなかったし、もし本当に効果があるならとっくに全国の医療施設で採用されているはずだろう、きっといい加減な商売に違いない・・・と高をくくっていた私は、そのすすめにすぐには応じませんでした。 それでもその方は何度もしつこくすすめるので、事の真偽はともかくとしてせっかくの親切を無にしては申し訳ないと思い、一度だけ体験しても大した損にはなるまいと、電話で予約したうえでその方と一緒に自宅から車で40分ほどの「その場所」へ向かったのでした。  今振り返れば、その時の軽い決心が私の命を救い、その後の運命を決定したのでした。 「その場所」は町はずれの小さな賃貸倉庫の一角にあって、目立った看板もない、穴倉のような地味な店で、どこからともなく鼻をつく異臭が漂っていました。 

とにかく、お試し体験ということで、簡単な説明を受け、畳2畳分ほどの暗い更衣室で素っ裸になり、カーテンの向こうを覗くと、そこには幅1m、長さ2mほどのベニヤ張りの長方形の箱が鎮座していて、その中にはなにやら褐色とも灰色とも判別困難な土のようなものがはいっていて、その中央には私を埋めるための穴が掘ってありました。 指図どうりそのくぼみに仰向けで横になり、局所にその土をかけて隠してから「お願いします」と合図をするや、店主兼作業員のお姉さんがやってきて体全体にその土をかけ、すっかり埋めてくれたものです。 暖かくて何とも形容しがたいいい気持ち! これは悪くない、いやそればかりか、ひょっとしたら効くかもしれない・・と直感的に感じたのです。  15分経過するとタイマーが鳴り響き、お姉さんの指図で起き上がって箱から出て、シャワーを浴び、土(ぬか)まみれの体をきれいに洗ってから服を着て、待合室に戻ると、大御所といった貫禄のおじいさんが私に言ったものです。 「あんた、そんな病気何にも心配要らんから、毎日朝晩2回通ってきなさい。そうすれば2か月もすりゃ良くなるって、もし治らんかったら金返してもいいよ」と。まんざら嘘をついてる様子でもなく、自信に満ちていたので、だめでもともとと思い、言われたとおりやってみることにしたのです。 治療代として11回分で25000円という回数券を買い、また往復のバイパス通行回数券を買い、翌日から毎日2回の風呂通いが始まったのです。     次回につづく。    

このページのトップヘ