米ぬか酵素のブログ

米ぬか酵素浴を用いた「酵素温熱免疫療法」の紹介とグループ代表の体験談や論説。

カテゴリ:エッセイ > 私と英語

それではと・・・誰でも知っているお馴染みの英単語から見ていくことにしましょう。
Company カンパニー は Coと略して使われます。日本語で言うと会社です。Co.Ltd.のLtd.はlimited(制限された・・有限の)の略ですから、つなげると有限会社となります。株式会社も有限責任社員で構成されますから、有限会社も株式会社も合同会社もすべて本来Company Limitedです。ただ、合同会社については、より分かりやすく、LLC(Limited Liability Company)と呼ばれています。

Companyは、comとpanyに分解できます。では、com (con) とは何か?それは「一緒」という意味の接頭辞です。Panyはギリシャ語のpanis (意味はパン)からきています。ですんで両方足すと、「一緒にパン」となります。パンは私たちにとってはご飯、つまり飯です。この字は中国語ではファンと読みますが、パンとファン・・何だか似ています。だから、一緒に飯→一緒に飯を食う仲間→同じ釜の飯を食う仲間→会社 となりました。これで終わりというわけにはまいりません。このcon-com-coという接頭辞はとても多くの語の頭にくっついています。たとえば、コンコルド。英語とフランス語では多少異なりますが、con+cord。Cordは心ですから、心が一緒となりますので。共和、協調、協力などと訳されます。

面白いのは コンディション condition。Ditionはさらにdit とion に分解でき、ditはラテン語起源の「言う」という意味の動詞の過去分詞で、「言われた」となり、ionは抽象名詞の接尾辞ですので、「言われたこと」になり、全体としては「一緒に言われたこと」となります。一緒に言われたことは、つまり但し書きであって、条件ともなります。
Contemporary コンテンポラリー は、con(一緒の) + tempo(時)+ rary(形容詞語尾)と分解され、「時が一緒の」ということで、同時代の、とか現代風のといった意味になります。

楽曲の最初の部分をイントロといいます。イントロダクション introductionを略した和製英語です。これはintro(中へ) + duct(導く) + ion(抽象名詞語尾)と分解されますから、全体では「中へ導くこと」となりますので、導入、紹介といった訳語になります。ここで登場した duct ですが、この語根も実に多くの単語に使われています。最後のtは、実はこれも過去分詞→名詞化する語尾であるので、tが無いduceの形でもよく使われます。この語根を持つ単語にはeducate conduct produce product deduct reduction などなど使用頻度の高いものが多くあります。

Education エデュケーション は一般に「教育」などという訳語がついていますが、語頭のeは、「外へ」という意味のexの短縮形ですから、全体では「外へ導くこと」という抽象名詞であります。その子が本来持っている素質や才能を導き出してあげるというのが教育の本質であるという考え方です。Conductorは一緒に導く者ですから、指揮者や車掌などになります。

Produceのproは「前に」ですので、「前に導く」で、「産み出す、生産する」となり、productは「産み出された→生産物、製品」となります。ちなみに、proという接頭辞も多く使われています。Proposeとは「前に置く」ですから、提案みたいなことになるので、結婚を提案するのをプロポーズと言います。

このように見てくると、語根というのは、その後の中心で、単純な動作を示すものと言え、その前に付いている接頭辞は、その動作がどのように行われるのかを示す副詞であり、接尾辞はその語の品詞を決定するというそれぞれの役割が見えてくるのです。次回はもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。


Part4に続く



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高校は東京都立秋川高校という開校したばかりの学校に居ました。「居ました」という言い方は妙に聞こえると思いますが、この学校は今から50年ほど前に東京都が、当時増え始めていた海外赴任家族の子弟を預かれるようにと、公立高校としては戦後初の全寮制高校として東京都秋川市に建設したユニークな学校でした。五日市線の西秋留という駅から徒歩10分くらいの畑の真ん中の広大な敷地に、校舎、寮棟、教職員棟、食堂、浴場、体育館、職員寮、図書館、そしてそれらの建物をつなぐ渡り廊下といった具合に、一つの小さな町を構成していました。メインストリートには、メタセコイアという名のシダ類の苗木が記念植樹されていて、それは後日巨大な街路樹に成長していました。

学校のコンセプトとして都教育委員会のおじさんたちが考え出したのは、戦前の旧制高校と、視察という名目の観光旅行で訪れた英国パブリックスクール(ケンブリッジ大学などのエリート大学へ進学予定のイギリス貴族の子弟向けの全寮制高校)のイメージをミックスしたようなものでした。そのため、公立高校としては当時としては珍しく、制服は紺のブレザーにえんじのネクタイというこじゃれたものでした。保健婦さんと図書館職員以外女人禁制の男子校で時代錯誤も甚だしい軍隊さながらの寮生活ということで、耐えられず脱落した気の弱い生徒も何人かいたものです。寮の部屋は8人部屋で2段ベッドになっていて、プライバシーはあり得ず、6時にパッパカパーという起床ラッパで飛び起きるとすぐ外で部屋ごとに点呼、しばらくして食堂に集合して朝食、その後登校といった具合で、生活はすべて決められた時間表どおりに団体行動するようになっていて、外出も勝手にできず、軍隊同様に個人の尊厳は完全に無視されていたわけです。

そんなのが温室育ちの現代っ子に受けが良いはずもなく、次第に入学志望者が減りはじめ、生徒確保のために敷居が低くなり、入試の成績に関係なく誰でも入れるような程度最低の学校に成り下がり、やがて廃校になったものです。廃校になっても、ご立派な施設はしばらくそのままになっていて、噴火で避難してきた三宅島の学童の宿泊と授業の施設として使われたりしていましたが、財政難の東京都は、更地にして売却することに決定し、何年か前についにメインストリートの巨大なメタセコイア並木の一部だけ残して、マッサラになり、今現在はどうなっているのか知りません。第二期生の卒業生としては寂しい限りではありますが、結論的には時代錯誤のお役人たちのご都合主義の当然の結果だったのでしょう。

私の場合、このような環境の中にあって、授業も英語と世界史以外の科目はどれも無味乾燥でつまらず、全く学習意欲がわいてこなかったので、3年になったころはほとんど劣等生でした。それでも英語だけは何も勉強らしいことをしなくてもなんとか上位の成績を維持してはいました。多分精神的に幼稚だったのでしょう。自分の将来のことなど完全にノーアイデアで、勉強同様大学受験などもまったく興味ありませんでした。それでも、親の勧めでいくつか私大を受験してみたものの、当然ながら全部失敗。人生で最初の挫折感を味わいながら浪人生活になり、当時横浜にあった自宅近くの予備校に毎日通うはめになりました。

京浜急行の日ノ出町という駅からすぐの横浜山手英学院という予備校で1年間受験テクニックを修業しました。ところが、そこでの英語と世界史のトレーニングは単なるテクニックにとどまらず実に楽しいもので、特に英語については、東大や早稲田で講師をなさっているユニークな先生たちの授業は実に素晴らしいものでした。おかげ様でめちゃくちゃやる気がわいてきて、模試では毎回のようにトップの成績で、ご褒美の図書券が何枚も貯まったものでした。同時に、そこでのある授業で聞いた一言が、英語に対するある根源的な理解を開いてくれたのです。その授業でその早稲田の講師は言ったものです。「君たちが今使っている英和辞典は全部ゴミ箱にポイして、この皮のカバーがついた岩波のやつを買いなさい。これ以外を使ってはだめです。」

普通の英和辞典では、各単語の訳語は使用頻度の順番で並べてあります。ところが、その先生が推奨したものでは、そこが違う。使用頻度ではなくて、その単語の一番古い意味から並んでいる。つまり、そもそもの語源から最近の訳語への変遷が分かるようになっていました。たとえば、forkという語を引いてみると、第一に「分岐したもの」とある。一般的には食器のフォークであるけれど、それは最後に書いてあるのです。そこで分かったことは、その語が本来意味する概念は「分岐」であって、言うなれば、分岐したものは何でもforkであるという至極単純明快な発想でした。これこそがまさに目から鱗とでも言いますか、英語と日本語の発想の違いを本質的に物語っているように感じました。

そして、もう一つの考え方は、2音節以上の単語は、接頭辞、語根、接尾辞の3種のパーツの組み合わせでできているということです。漢字でもやはり同じように冠、へん、つくり、などが組み合わさってできていて、組み合わせのバリエーションで非常に多くの少しずつ異なる意味の文字が作られています。英単語におけるこの3種のパーツは、ほとんどがラテン語起源で、その源流はギリシャ語であるケースが多いのです。現代ヨーロッパの諸言語は、インド・ヨーロッパ語族というグループの枝分かれであって、元を遡ると所謂「印欧祖語」なる古代インドで使われていたであろう言語だそうです。インド人はすごい!
それはさて置き、次回では、そのパーツの組み合わせを実例を観ながら詳しく解説してみたいと思います。

Part3に続く

私と英語の出会いは、音楽を通じてでした。中学生の1年か2年のころだったと記憶していますが、近所の友達の家に遊びに行ったときに、当時彼のお兄さんが大ファンだったアメリカの人気歌手、エルビスプレスリーのレコードを聴かされて、すっかり虜になってしまって、それからというもの、時々親に内緒でエルビスの映画を見に行くようになったのです。最初に見たのが「アカプルコの海」というので、メキシコの有名な景勝地、アカプルコが舞台でした。「ボサノバベイビー」っていう主題歌の一つがヒットしていました。
その次に見たのが「青春カーニバル」というのでした。この映画でエルビスは赤いホンダのバイクの後ろにギターをくくりつけて走っていたのがかっこよかったのでした。当時はまだレンタルビデオなどというものが無かったので新しく封切られた映画をその都度映画館に足を運んで観るしかなかったのでした。話に聞けば、「アカプルコ」以前にも「ブルーハワイ」とか「GIブルース」などいい映画がいくつもあったそうで、歌だけはサントラレコードを借りたり、買ったりして聞いていました。そのような過去の映画は後日TVやビデオで見ることになりました。

当時の私にとってはエルビスはまさしく神様よりかっこいい存在で、映画が始まり本人が登場すると、どきどき興奮したもんです。そして、自分もあんな風にかっこよく歌を歌ってみたいと思うようになり、飽きてしまってほったらかしになっていた7歳年上の姉のクラシックギターを借りる(というより奪ってしまい)皮のストラップをつけて、そいつをかき鳴らすまねごとを始めたのです。レコード屋に行くと、楽譜があり、ギターコードの図があったので、弦を押さえる場所を確認しがらAだのEだのCだのといった和音(コード)を少しずつ覚えていき、やがてそれらしく弾き語りができるようになって、好きなエルビスのヒット曲をレコードを何度も何度も聞きながら同じように歌えるように練習しました。その甲斐あって、中学卒業の頃には20曲ぐらいのレパートリーができたのです。英語の歌を真似して歌うと、自然に発音が身に付き、英語の勉強そのものも面白くなってきて、高校では、他の科目は全部最低でしたが、エルビスの歌のおかげで英語だけはいつも学年でトップクラスの成績でした。

ちなみに、エルビスと縁の深い有名人を列挙するとこうなります。
平尾正明、加山雄三、西田敏行、前川清、ミッキーカーチス、尾堂イサオ、宇崎竜童、小泉元首相、佐々木功(宇宙戦艦ヤマトの)、海外ではクリフ・リチャード、リッキー・ネルソン、ボビー・ソロ、ビートルズのジョンとポールなどなど・・・大勢居てとても書ききれません。

Part2 に続く



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