さて、つい脱線が過ぎましたが、元に戻ってまた10年前にさかのぼることにします。

マーカーは正常値になって安定し、CT画像でも肝臓の転位巣は縮小しましたので酵素風呂通いは日に一回に変更して、さらに一か月続けました。ただそのあと完全にやめてしまうのは不安がありました。もし再発したらどうしようって。その先ずーっと通い続けるのは経済的にも時間的にも困難が予想されましたので、いっそのこと酵素桶を一つ買って自宅においてはどうかと杉山さんに相談してみたのです。そうしたら酵素桶は売っていただけるとのことでしたので、買うことにしたのでした。値段は小型乗用車一台分程度でした。ただ、湿気が充満し、ぬかの粉が舞うので家の中に置くのは問題が多く、庭に物置を設置し、その中に納めることにしたのです。メンテのやり方は一週間ほどかけて杉山さんに教えてもらいました。簡単そうに見えても、いざ自分でやってみるとこれが結構難しい。一年くらいは苦労しました。

自宅で入り始めて3年ほど経った頃、5年生存率が0%の私が生き延びているという噂を聞きつけた近所の50代半ばのおばさんが家に来て、酵素風呂に入ってみたいとおっしゃいました。 なんでも最近背中や腰が痛くてたまらず、病院で精密検査してもらったところ、多発性骨髄腫という骨髄の癌と診断されたのだそうです。 後日調べてわかったのですが、この病気は診断されてから死亡までの期間が平均1年程度という恐ろしい病気だったのです。近所の方だったし、私は当時本業として雑貨の輸入卸をやっていたので、お金はいただかないことにしていました。山本さんというそのおばさんは来る日も来る日も私の酵素風呂に通ってみえました。 酵素風呂に入ると痛みがやわらぐのだそうです。

しばらくして相談がありました。 2か月ほど入院して抗がん剤治療をするように医師に勧められたのだそうです。私の癌が良くなったのは確かでしたが、果たしてこの人の場合にも効き目があるかどうかなど全く知る由もなかったわけですが、痛みもかなり軽くなってきている様子なので、もうしばらく酵素風呂を続けて様子をみてみたらいかがでしょうかと提案しました。山本さんは同感ということで、入院は先送りしてそのまま酵素風呂続けることにされました。

私の酵素風呂に通い始めて5カ月ほど経った時点での血液検査の結果、数値が良くなり始めたそうです。それまで経口抗がん剤を服用されていたのですが、ご自身の判断でやめてしまいました。そのころ私は私の命を救ってくれた酵素風呂で人々の役に立つ仕事をしてみたいと考えるようになり、自宅を売却した資金を元手に「米ぬか酵素」を開業したのです。平成14年のことです。山本さんはその後1年ほど毎日酵素風呂に入り続け、今でも元気にお暮らしになっています。山本さんのことがあって私もかなり意を強くしたのですが、必ずしも誰でもうまくいくとは限らないということを後日思い知らされることになりました。

Vol.13に続く。