症状と病気
病気のメカニズムを理解するうえで、もっとも基本的なことは、私たちが従来教えられ抱いてきた病気に対するイメージや概念を完全に払拭するということに尽きます。 私たちは、症状と病気を混同して考えて来たと言えます。
言い換えると、症状の抑制を病気の治療と勘違いしてきたということになります。 分かりやすい例を挙げますと、風邪をひくと、最初はくしゃみが出て、次に鼻水が出て、のどが痛くなり、次第に咳が出て、痰が出るようになり、熱が上がり、だるくなって横になってじっとしていたくなります。
くしゃみは、鼻の粘膜にとりついた菌やほこりなどの異物をはじき出す反射反応、鼻水はそれらを洗い流すために粘膜が分泌する粘液、のどが痛くなるのは、白血球が気道の粘膜に取りついた菌を攻撃する際に発生する炎症のせい。 咳は喉の奥に取りついて炎症を起こしている菌を吹き飛ばし、痰は、菌、そしてそれと戦っている白血球の死骸を洗い流した粘液です。 熱が上がるのは、体温を上昇させて白血球がより元気に活動できるようにするためです。 だるくなるのは、体を休ませて敵と戦うエネルギーを温存させるのと、その人の行動を制約して菌の蔓延を防止して種の存続にとっての脅威を減らすためと考えられます。

別の例としては、嘔吐と下痢があります。 両方とも体内の悪性菌やその他の有害物を外に排出する反応ですし(他の理由の場合もありますが)、炎症や腫れは、損傷を受けた部位の血流を増やして修復を早めたり、侵入者と戦うために現場に多数の白血球を送り込んで、その白血球が武器として使用する活性酸素による酸化反応によって発熱したり、その発熱を冷却するために水を溜めたり、血液中の痛み物質によって脳に痛みを感じさせ、体に問題が発生していることを警告して、必要な行動を採らせるというわけです。  

このように観てきますと、体に生じる様々な不快な現象、つまり、症状は、生体防御反応あるいは治癒反応といえるもので、生命体が生命を維持していくのにもっとも適切な状態(ホメオスタシス・・・恒常性)をキープするために必要な活動であって、それは病気の本体ではなく、むしろ病気の現れであり警告のメッセージとしてとらえるべきです。 生命の維持は実は極めて多彩で複雑で天文学的な数に及ぶ膨大な情報の集積とその驚異的処理速度とによってぎりぎりなんとか際どく成り立っているわけで、余分なことに使う時間もエネルギーもありません。 症状はどうしてもそれが生命維持に必要だから発現するのです。 しかし、現代医学はこの点がわかっていませんから対症療法一辺倒の医療になっています。 つまり、痛みには痛み止め、痒みには痒み止め、炎症には抗炎症剤、下痢には下痢止め、咳には咳止め、熱には熱さまし、さらには、癌は切除するか毒か放射能で殺す・・・といった具合にすべて対症療法です。 たしかに不快な症状はストレスになり、それが一層交感神経を緊張させて免疫力を低下させることもありますから、症状がきつい場合は対症療法でも緊急避難的に必要な場合があります。 しかし、それは、薬物の作用によって症状を抑え込んだだけであって、その症状を引き起こした本来の原因を消し去ってはいませんから、病気そのものが治ったことになりません。 それだけではなく、治癒反応を抑制するのですから問題は一層解決困難になり慢性化します。  その結果症状は一層悪化多様化し、薬物の種類や量も増えて対症療法は延々と続くことになりますから、何年経っても治らず、薬物が本来意図した目的とは異なる方向に作用して(これを副作用と呼んでいる)免疫システムを含む体全体の正常な機能を破壊してしまうことになりかねません。

様々の症状の背後には自律神経の乱れというあらゆる症状をもたらす異常事態があります。  そして自律神経のバランスを意識の有無に関係なく常時自動的にコントロールしているのが脳ですから脳の動き、つまりは、心の動きが結果的に症状を作り出しているということになります。 心が病んでいる状態が本来の病気であって、私たちが普段病気だと思っていたことは、実は病気そのものではなくて、単にその表れとしての症状に過ぎなかったということになります。