米ぬか酵素のブログ

米ぬか酵素浴を用いた「酵素温熱免疫療法」の紹介とグループ代表の体験談や論説。

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さて、50年近く前から最近に至るまでの若干のエピソードを元検事のお話を元に再構成しましたが、このあたりでまた私が10年前初めて酵素風呂に出会った当時からのお話に戻すことにします。

「その場所」に毎日朝夕2回通い始めたのですが、しばらくするとすっかり日課として定着しました。すると不思議なもので、何が何でも行かないと気持ちが落ち着かない。問題は、そこが定休日の時どうするかですが、そのときは他の店を探しました。ただしこの問題は店主の杉山さんのご厚意で、定休日であっても朝は仕込みの作業をするために店にいるので、朝だけ来店してもいいことになったので、お言葉に甘えることにしました。2週間に1回病院で血液検査をしていましたが、その日は半日つぶれるので1回しか酵素風呂に行けない。こんな日は欲求不満になったものです。

その血液検査ですが、毎回、肝機能や総コレステロールだのといった一般的指標を含む数十項目の数値が調べられるわけですが、中でも最も注目していたのは腫瘍マーカーというやつで、私の場合は大腸ガンでしたので「CEA」というのがマーカーの項目でした。CEAというマーカーは特に胃、大腸、S字結腸、直腸といった消化器系のがんによく反応するそうです。マーカーには多くの種類があって、すい臓がんならCA19−9、乳がんだったらCA15−3、前立腺がんならPSA、などのように各臓器、部位によってそれぞれ特異的にその部分のがんの動静をよく示すものがあります。腫瘍マーカーの種類や内容についてはネット上でも詳しく解説されているので、興味のある方は調べてみるとよいでしょう。血液検査で調べられるマーカーはがんの実勢を知る上でとても便利な指標とされていますが、実際には個人差があって、人によってはほとんど、あるいはまったく実勢が数値に反映されない場合もあるようです。私の場合は、何度もCT画像と比較対照した結果、肝臓に転移した大腸がんの実勢はマーカーに如実に反映されていました。最近ではもっぱら基準値(異常と正常の境目の値)が5.0のCEAが使われていますが、私の場合は基準値が2.5でした。 上行結腸(盲腸の上方)切除の時点ではすでに肝転移がありましたので、手術直後のマーカーは基準値を超えていて3.8あり、その2週間後には6.3に上昇。CTの画像では肝臓左葉の下部、胃に接するあたりに約3センチのほぼ真円の明確な黒っぽい影が見られ、その周囲にも5−8ミリ程度の細かい影が点在していました。幸いなことに右葉(左葉よりも大きい)には視認できる影は存在していませんでした。その2週間後のマーカーは8.9に上昇。そしてその次は13.4と着実に上昇を続けました。 

平成10年1月5日に入院、7日に上行結腸切除、同月22日に退院、その後ひと月ちょっとしてから知人の勧めで酵素風呂に毎日朝夕2回通い始めました。 通い始めてから2か月ほど経った時点でのマーカーは、さらに上がっていて18.4になっていたのでした。これには私も失望しました。元検事の爺さんは2か月で治るって自信たっぷりに言っていたのに、やはり眉唾だったのか? 少し不安になってきたのでした。それに主治医からは、幸運にも腫瘍は左葉に集中しているので、左葉だけの切除で治癒の可能性もあるからということで手術を勧められていて、私としては、酵素風呂の成果をみたいからとお返事を先延ばしにしていましたが、5月の連休中には決断することを約束していたのでした。そんなわけで4月下旬はやや落ち込んでいたのですが、そのころ、不思議な現象がありました。時折太ももに電気が走るようなピピッというしびれの感触を感じるのです。また、微熱があるような感じもありました。そんなのは初めての経験で、病気が悪化したせいでは?とまたもや不安になったものですが、この奇妙な現象は一週間くらいで消えました。マーカーは上昇を続けていたのですが、もう二度と手術はしたくないし、このやり方で何とか治してしまいたいと思い、毎日の酵素風呂通いはしつこく続けていて、とうとう約束の5月5日になりました。主治医には申し訳ないと思いつつ、私はやはり手術は受けないという意思を伝えました。しかし、検査だけは引き続きお願いしたいと言い添えました。院長には快く了解いただけました。その一週間後にCTを撮り、同時に連休直前にやったマーカー検査の結果を聞きました。何と前回18.4あったマーカーは、17.6とわずかながらも下がっていたのです。それまでの上昇率から推定すれば、25を超えていてもおかしくないはずなのに・・・。そしてCTの写真を見てまたまたびっくり。それは明らかに異常な光景でした。 左葉の大小様々な影は一つにまとまり、最大差しわたしが8センチくらいに大きくなっていて、形はいびつで、輪郭がややぼやけているのでした。「先生、これ一体どうなっちゃてるんでしょうか?」 「うーむ、こんなの今まで見たことないなあ・・・(そのあと無言)」 いずれにしても、何か大きな変化が起きたのは間違いないようでした。

vol.9に続く。

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夏川検事が実際に笹川氏に出会ったのは国中がロッキード事件で大騒ぎになっていた最中でした。 東京地検は国際興業の小佐野賢治氏や児玉誉士夫氏との親交が知られていた笹川氏に関心を寄せていて、事情聴取のため夏川検事を別件捜査の名目で送り込んだ。 ところがどっこい笹川氏は想像以上の大物で、事件につながる供述は一切得られぬばかりか、逆にすっかり丸め込まれてしまったものでした。ただ、熱海の研究所の件では、夏川検事自身大変お世話になったこともあり、事情聴取などはすっかりそっちのけで、その話題で大いに盛り上がったものでした。 その後の捜査でも笹川氏がこの事件に関与していたということを裏付ける供述も証拠も得られなかったため、このルートの捜査は打ち切られました。

それから数十年の歳月が流れ、夏川検事は定年退官され、しばらくぶらぶらしてから退職金の一部を元手に趣味と実益を兼ねて居酒屋でも始めようかと考えておったが、熱海で出会った酵素風呂のことなどはほとんど忘れかけていたのでした。 そんなある日の夜遅く、酔って大いびきで寝込んでいた夏川氏宅の電話がけたたましく鳴ったのです。寝ぼけ眼をこすりながら電話に出ると「笹川じゃが・・」と電話の主。「笹川だと? 知らんな、いったいどこの笹川だってんだ!こんな夜更に突然失礼な・・・」と元検事。しかし、ハッと気がついて「ひょっとしてあの笹川先生では?」 「あのもこのもない。その笹川じゃ。」 「突然私にいったいどんな御用なんで?」 「実はな、あんたもよく知ってる例の酵素風呂なんじゃがね、わしも年でな、ぼちぼち引退しようかと考えておるんじゃ。今の情勢では、船舶振興会は運輸省の管轄になることは避けられないし、わしもそのほうがよいと思っている。 しかし酵素風呂はどうしても後世に残したいので、誰かに引き継いでもらいたいのだが、あんたが候補に挙がったというわけだ。どうだ、やってくれるか?」 商売人の笹川氏のこと、まさかただでくれることはなかろうと思ったが,念のため「ただでいただけるんでしょか?」と元検事。 「馬鹿を言うな。 いったいその開発にいくらかかっているのか知らんじゃろうが、はっきり言って安くはない。しかし、あんたには払える。そんなことはとっくに調べてあるんじゃ。実家の山を売ればそれくらいの金額になる。」

そんな具合で昔と同じようにまたもやすっかり丸め込まれてしまった元検事は、結局父親名義の山林を勝手に売り払ってしまって、その金で笹川先生から酵素風呂とそれに関わる研究成果とノウハウの一式を買い取って、その仕事を始めたのでした。

vol.8に続く

その熱海の酵素医療研究所ですが、そこでは会員制での営業もしていたそうです。そのオーナーであった笹川氏は政財界はもちろん芸能界にも多くのコネクションがあったのでその方面の多くの方たちが会員になってしばしば酵素風呂に入りにきていたようです。

会員の中には当時はまだお若かった長嶋茂雄さんや森光子さんもいらしてよく利用されていたそうでした。 また日劇ダンシングチームの踊り子さんたちもしょっちゅうみえていたようです。スポーツ選手や俳優さんたちはあくまでも体が資本で風邪をひいたからといって大事な試合や撮影や舞台あるいはテレビ出演などを休むわけにはいきません。ですから、健康の維持はそのような人たちにとっては大切な仕事の一部であるわけです。それにそのハードなスケジュールと言ったら並み大抵ではありませんから、素早く仕事の疲れを取り元気を取り戻しておくことが一般人の何倍も重要な仕事になってくるわけです。

また女優さんでしたら美しいお肌と体形を維持するのも健康の維持と同じくらい重要な仕事のはずです。 このような切実な要求にとって、全身の細胞を活性化して元気にして免疫力を高め、若さを保ってくれる米ぬか酵素風呂は当時としてはかなり高額の会費を支払っても、まさしくこの上ない理想的な手段であったわけです。 不老長寿の方法を模索し、医学の発展にも強い関心を抱いていた笹川氏にとって、この米ぬか酵素風呂の完成は大変喜ばしいことであり、当然ご本人も毎日愛用され、出張の際は必ずご自身の乗られるベンツは酵素風呂を収めたトレーラーを牽引していたそうです。 その結果、晩年になっても自らテレビCMに出演されたりして96歳でその波乱に満ちた生涯現役の人生を閉じられるまで元気にお過ごしになったのでした。

Vol.7に続く



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若き日の夏川検事が連れていかれた熱海市内のその場所は、以前或る大手製薬会社の会長が別荘として所有していたものを、戦犯として拘留されていた巣鴨プリゾンを出所されて間もない故笹川良一氏(笹川氏に関して詳しく知りたい人はは別途検索してください)が買い取って、酵素の研究施設として使用していた建物でした。 酵素の存在と、それが生命の維持ににとってどれほど重要な働きをしているかということに関しては、すでに戦前から数多くの研究がなされていましたが、健康維持や疾病の治療といった実用に供するためにいかにして体内に取り込むべきかという点が研究の最大のポイントでした。 一番簡単なのは、当然経口服用ですが、それだと胃酸でかなりの部分が分解され、効率が悪い。 そこで考えられたのが、全身の皮膚をとおして吸収してはどうかというアイデアでした。 皮膚から吸収なんてことが実際可能なんだろうか?と思われる方がいらっしゃると思いますが、実際人間の呼吸の70%は皮膚呼吸に頼っているし、様々な有害化学物質も経皮毒として皮膚をとおして体内に入り、アトピーやガンの原因になっていることを考えれば理解できるでしょう。 そこで次なる課題としては、いかにして効率よく皮膚から吸収させるかという点になるわけですが、誰でもすぐ思いつくのは「お風呂」にきまってますね。 つまり酵素のお風呂となるわけですが、単純にお湯に酵素を混ぜて入るよりも、もっと濃密に酵素が充満している環境に体を置く方がよいにきまっています。 その環境とは、酵素をせっせと生産してくれる微生物が天文学的に増殖し、同時にそれらが生み出す酵素がいっぱいになる環境となります。 つまり発酵が盛んに進むような条件が必要になります。  この点でいろいろ試行錯誤が繰り返された模様ですが、最初の段階では、おがくずを入れた桶に土壌から抽出した微生物を振り撒いて水を与えて発酵させていたようですが、いまいちパワー不足でしたので、最終的には、わが国に豊富で安価でかつミネラル、ビタミンなどの栄養素が多い米ぬかを使用することになったのです。 また、米ぬかのタンパク質は微生物にとって最高の食糧ともなるわけです。  そこに水と空気を十分に与えて微生物を培養すれば、どんどん増殖し、桶の中は、微生物と、その生み出す酵素とで充満するし、(微生物の代謝物に酵素が混じる、また、寿命が尽きると細胞膜が破れ、中の酵素が環境中に出てくる)同時に発酵に伴う熱(微生物の体温とでも言えましょう)が発生し、米ぬかと微生物と酵素と水と空気が混じったさらさらのパウダーは66度くらいまで熱くなります。 それ以上の70度を超えると微生物は自滅することになるので、当然それ以上には熱くなりません。 66度といってもお湯とは違って空気の混じった粉末ですので体感温度は43−44度となり、さして無理なく15分程度までならじっとその中に埋もれていることができるわけです。 全身の皮膚をとおして酵素、ミネラル、ビタミンを吸収するのが目的ですから、素っ裸で顔だけ残して全身その中に埋もれるのです。 徹底したい場合は、鼻と口だけ残して顔も埋もれてもよいのです。

この熱海の研究所では幾多の試行錯誤を繰り返した後、最も効率よく体温を上げながら酵素を吸収できる米ぬか100パーセントの酵素風呂が完成されたのです。

Vol.6に続く

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この元検事の先生、お名前はそう、とりあえず夏川氏とでもしておきましょう。と言いますのは、それは私がお会いした時点での奥さまの苗字で、それまでに何度も苗字が変わり(離婚再婚を繰り返すたびに)、本名がはたして何だったのか本人も定かではなくなっている模様??戦後間もなく東大法学部を卒業なさって法務省に入省され、戦勝国アメリカの「民主的」司法制度を学ぶため貨物船で渡米、ワシントンで当時のFBI長官(フーバーさんだったか)と対面したそうです。その後帰国されてからはエリート検事としてのキャリアが始まったのですが、柔道で膝を痛められて半年も医者通いをしても一向に改善せず、松葉杖が離せず、たまたま仕事の関係で訪れた熱海駅のホームで大学時代の先輩に出くわすことに。 その先輩曰く、「夏川、そのザマはいったいどうしたっていうんだい?何、膝が痛い?運のいいやつだな。ちょうどいい。俺について来な。そんなもん2週間ですっかりよくなるって。」 何のことかまったくわからぬ夏川検事、それでもここはひとまず先輩の顔を立てるしかないかと判断し、よれよれとついていくことになった。人の出会いとは不思議なもので、まさにそれが彼と酵素風呂との出会いでした。その日から2週間、言われるままに毎日酵素風呂に入ることになり、回数を重ねるたびに痛みがやわらぎ、最初は半信半疑だった夏川検事も「これはいけるかもしれん」と思うようになり、2週間後、見事約束どうり松葉杖なしですたすた歩けるようになったのでした。その後、半年お世話になった医者のところに報告に出向き、「すっかりよくなりました」と言うと、「それはよかったね」の一言だけ。頭にきた夏川検事は「そりゃーねーだろう」とその医者をぶんなぐってしまったそうな。(当然ながら検事にあるまじきこの暴挙は後日省内で問題になったであろうことは想像に難くありません。)

その夏川検事が酵素風呂という見たことも聞いたこともない不可思議な療法と出会い、そしてその驚くべき効果を実感した熱海市内の場所こそが我が国における酵素風呂発祥の地点でありました。

次回Vol.5につづく

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その自称元検事のことですが、実に興味深い人物でした。見た目では、60代半ばくらいかとお見受けしましたが、本人いわく74歳で1歳の子供さんがいらっしゃって、奥さまは38歳でなんと7人目の奥様だそうで、年の差36歳。年齢の割には肌はすべすべでしみもしわもほとんどなく、髪の毛こそ薄くはなっているものの、体格は立派だし、姿勢もいい。そして最大の特徴は、右腕上腕部の骨が無いのに右腕をちゃんと使いこなしているという点でした。それは世にも不思議な光景で、目撃した人は例外なく唖然とします。右肘の関節が存在しないので、そこから下の部分は360度いかなる方向にも向きを変えられるのです。それ自体は至極当然とも思えますが、にもかかわらず右手は完全に使えて趣味の大工仕事も自由自在で器用そのものなのです。お話によれば、仕事で比叡山の付近を公用車で走行中、70メートルの崖下に転落、運転手は即死し、自分は右上腕部複雑粉砕骨折の重傷で病院に担ぎ込まれ、医者の見立てでは、治癒の可能性はないので、肩から腕を切断するしかないとのこと。ところが、彼は腕とさよならしたくなかった。そこで思い出したのは、その昔お世話になった熱海の酵素医学研究所の酵素風呂でした。 
包帯でぐるぐる巻きの右腕を抱え、病院を脱出し、熱海に向かったのです。 来る日も来る日も酵素風呂に入って半年が過ぎましたが、骨だけでなく神経も完全に切断していたので、手は相変わらず、全く動きません。やはりだめか・・と失望感に落ち込みながらも、それでもきっと治ると信じ、入り続けたのです。そうして八か月目に入ったある朝、右手の指先がピクリと動き、これでもう回復すると確信したそうです。その後は確信のとおり順調に回復し、間もなく右手は自由に使えるようになったそうです。   次回に続く。

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お待たせしました。非常に多忙でしたので少し予定より遅れてしまいましたが、Vol.2行きます。その前に二つほどお断りしておかなくてはならないことがあります。このシリーズは一切脚色無しの実体験をお話するものですが、登場人物の名前はプライバシー保護のため仮名にしてあります。また、日時、検査結果などの詳しいデータについては、きちんと日報などを記録していたわけではなく、記憶を頼りにして書いている関係上、やむを得ず多少正確さに欠ける点がありますことを予めご了承願います。

そうして毎日2回の酵素風呂通いが始まったわけですが、さほど面倒というこもなく、むしろ何かにチャレンジするという感覚で、間もなく日課として私の生活の一部になりました。朝9時に藤枝の家を出て国道一号線バイパスを静岡へ向かい、「その場所」には10時15分前に到着します。オーナーの杉山さんが開店時間ぎりぎりに到着して鍵を開けるのを待って、あとに続いて薄暗い店に入ります。私はいつも最初のお客でした。2月末ということもあって朝はまだ寒く、穴を掘った桶からはもうもうと湯気が立ち上っています。ぬかに掘られた穴に仰向けに寝て、大事なところをぬかをかけて覆うのですが、これがなかなか大変なのです。感度良好な部分だけにぬかの熱さがビリビリきてたまらんので思わず「アッチー!」と叫んでしまいます。なんとか覆い隠してから「お願いしまーす」と言うと、杉山さん、待ってましたとばかり、その熱いぬかを無造作に私の全身にばさんばさんとかけてくれます。最初の10分くらいはよいのですが、最後の5分は、あと何秒というようにカウントダウンしながら必死に熱さを耐えしのびます。シャワーを浴び、待合室に戻るとぐったりです。全身に赤いまだら模様が浮かび上がって、火傷一歩手前みたいな感じ。3−4時間もすると元の状態に戻り安心します。私が出る頃には他のお客さんたちも次々に来店し、待合室ではいろいろな話が飛び交うようになります。「私がんなんです。」「いやあ、実は僕もがんでね。」などと開けっぴろげな話となります。皆がうつむいて押し黙っている病院の待合室とはかなり雰囲気が異なります。11時頃には店を出て、家に戻り、1時間ほど昼寝をして、昼食をとり、そのあと3時間ほど自宅の事務所で仕事をして(SOHOでしたので)4時過ぎにまた静岡に向かうのです。夕刻には時折、例の大御所のおじいさんが店にきています。杉山さんが「先生」と呼ぶその大御所は、先生というよりはむしろやくざの親分といった感じの鋭い目つきをしていましたが、笑うとまるで子供のように可愛い。名刺には「日本酵素医学研究所」と何やら怪しげな名称が。自称元検事を名乗るその爺さんの話術の得意なことといったら天下一品で、ご自身の検事としての体験や、酵素風呂に関わるようになったきっかけなど興味深い話が延々と続くのです。次回はそんな話の中から酵素風呂に関連したいくつかのエピソードを拾ってみたいと思います。

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今から十年前、私は5年生存率0パーセントの進行がん患者でした。平成10年の1月に近くの病院で中期の大腸がんの切除手術を受けました。がんは上行結腸の中間あたり、つまり盲腸の少し上方にありましたので、上行結腸のほぼ全部と付近のリンパ節を取り去ってもらったのです。 これで済んだとほっとしたのも束の間、事前の検査では発見されなかったのですが、肝臓に転移があったのです。(このことは退院するまでは私には伏せられていました。)この段階で私は現代医学的には5年生存率0パーセント、つまり不治のがん患者となったのです。院長は再手術を勧めてくれましたが、知り合いの医師に今でいうセカンドオピニオンを問うたところ、たとえCTで確認できた転位巣を切除しても肝臓内部には多くの微小転移が点在している可能性が大きいので、再発の可能性が高いのでお勧めしかねるとのコメントをいただきました。それで退院後ひと月ほどは、どうしたらよいものか分からずに不安と絶望の日々を送っていました。

そんなある日、知り合いから、酵素風呂というのがあって、がんに良いらしいから試してみてはという助言がありました。 酵素の風呂などというものはそれまでに一度も聞いたことがなかったので、どんなものか全く想像もできなかったし、もし本当に効果があるならとっくに全国の医療施設で採用されているはずだろう、きっといい加減な商売に違いない・・・と高をくくっていた私は、そのすすめにすぐには応じませんでした。 それでもその方は何度もしつこくすすめるので、事の真偽はともかくとしてせっかくの親切を無にしては申し訳ないと思い、一度だけ体験しても大した損にはなるまいと、電話で予約したうえでその方と一緒に自宅から車で40分ほどの「その場所」へ向かったのでした。  今振り返れば、その時の軽い決心が私の命を救い、その後の運命を決定したのでした。 「その場所」は町はずれの小さな賃貸倉庫の一角にあって、目立った看板もない、穴倉のような地味な店で、どこからともなく鼻をつく異臭が漂っていました。 

とにかく、お試し体験ということで、簡単な説明を受け、畳2畳分ほどの暗い更衣室で素っ裸になり、カーテンの向こうを覗くと、そこには幅1m、長さ2mほどのベニヤ張りの長方形の箱が鎮座していて、その中にはなにやら褐色とも灰色とも判別困難な土のようなものがはいっていて、その中央には私を埋めるための穴が掘ってありました。 指図どうりそのくぼみに仰向けで横になり、局所にその土をかけて隠してから「お願いします」と合図をするや、店主兼作業員のお姉さんがやってきて体全体にその土をかけ、すっかり埋めてくれたものです。 暖かくて何とも形容しがたいいい気持ち! これは悪くない、いやそればかりか、ひょっとしたら効くかもしれない・・と直感的に感じたのです。  15分経過するとタイマーが鳴り響き、お姉さんの指図で起き上がって箱から出て、シャワーを浴び、土(ぬか)まみれの体をきれいに洗ってから服を着て、待合室に戻ると、大御所といった貫禄のおじいさんが私に言ったものです。 「あんた、そんな病気何にも心配要らんから、毎日朝晩2回通ってきなさい。そうすれば2か月もすりゃ良くなるって、もし治らんかったら金返してもいいよ」と。まんざら嘘をついてる様子でもなく、自信に満ちていたので、だめでもともとと思い、言われたとおりやってみることにしたのです。 治療代として11回分で25000円という回数券を買い、また往復のバイパス通行回数券を買い、翌日から毎日2回の風呂通いが始まったのです。     次回につづく。    

静岡県藤枝市にて酵素温熱免疫療法「米ぬか酵素」を経営しております黒田と申します。「酵素温熱免疫療法」と言われても初耳の方がほとんどと思います。 それもそのはず、私が作った造語なんです。 一言で説明しますと、それは米ぬか100パーセントの酵素風呂を使用した究極の代替療法で、多くの方々の健康と美と幸せに貢献したいと願い、これから日本中にその真実の姿を紹介させていただきたいと思い、そのとっかかりとしてこのブログをスタートいたしますので、健康や代替医療や医学に関心のある皆様、お話ししたいことが山のようにありますので是非よろしくお付き合い願います。


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