米ぬか酵素のブログ

米ぬか酵素浴を用いた「酵素温熱免疫療法」の紹介とグループ代表の体験談や論説。

平成10年の春、私は5年生存率0パーセントの進行癌患者でした。
その前年の秋、健診で大腸がんがみつかり、翌年正月明けに切除手術を受けました。 その際、事前の検査では発見されなかった肝臓への転移が見つかったのです。 途方に暮れていた私は、知人の紹介で、ある民間代替療法を試みることにしました。 その民間代替療法とは、発酵作用で熱くなっている米ぬかの中に15分間埋もれているという至極単純なものでした。  来る日も来る日も朝夕2回その米ぬかに埋もれ、2か月後には腫瘍マーカーが下がり始め、それはやがて正常値となり、私の命は奇跡的に助かったのです。
この不思議な経験をきっかけに、当時営んでいた輸入の仕事に行き詰まりを感じていたこともあって、この代替療法を残りの生涯の仕事にしようと決心し、平成14年の5月に、酵素温熱免疫療法「米ぬか酵素」を開業いたしました。

早いもので、今年、開業10周年を迎えるにあたって、この10年間に得ることが出来た体験や読書を通じて得た知識、そして何よりもお客様達からの貴重なお話などから、病気の成り立ちや医療の問題について自分なりに考えてきたことをこのあたりで一旦文書に整理してまとめておく必要を感じて、この小冊子を作ることにしました。 世に健康や病気、特に昨今は癌について書かれた書物は非常に多いもののその発症のメカニズムについて簡単に解説しているものは皆無に近いのが現状です。 実はそのメカニズムを理解したうえで、免疫という視点から見渡すと、意外にも病気の成り立ちについての本質的な部分が見えてくるのです。

中心テーマは国民の三人に一人を死に至らしめている癌をはじめとする慢性病のおおまかな発病メカニズムについての私なりの解説ですが、基本的には単一のテーマを観点を変えながらいくつかの項目に分けて書いてありますので、それぞれの項目間で若干の重複がある点をご了解願います。この小冊子が、皆様が病気というものをより本質的に理解される上で多少なりとも参考になりうるとすればその目的は十分達成されたことになります。
 


自分自身の癌体験と米ぬか酵素風呂との出会い、そして、酵素温熱療法(現在は酵素温熱免疫療法に改称)「米ぬか酵素」の開業に至る経緯について2年前の2009年初頭にVol.12まで書いてきて、Vol.13からはいよいよ「米ぬか酵素」のお客様達とのエピソードなど開業後の体験を書き連ねようかと考えて構想を練っていたのですが、そうこうしているうちに、その夏の初めに、様々なストレスから血圧が急上昇し、脳出血を起こし2週間入院となりました。幸い右脳内の出血は限定的で、左半身の麻痺は1日以内に解消しました。ただし2年以上経過した現在でも左足の先や口腔に痺れが残っていて味覚に違和感があったり、一部の語彙が発音しづらいなどといった後遺症に悩まされていますが別段生活に支障を来すというほどではありません。がん、そして脳卒中と日本人の死亡原因の第一位と第三位の両方を経験してしまったわけですが、おかげさまで生き延びることができ、これをきっかけとして、それまであまり関心の無かった高血圧と脳卒中に関してもある程度勉強できました。

退院後しばらくは禁酒したり毎朝歩いたり、毎日酵素風呂に入ったりして、体調の方もすっかり良くなってきたので、いろいろ考えたり文章を書く気力もわいてきました。そうこうしているうちに、開業以来早くも9年の歳月が流れ、来年2012年5月には「米ぬか酵素」開業10周年を迎えるに至りました。そこで、開業以来9年間の経験を基にがんや慢性病について考えたことの結論をまとめて文章にまとめ、小冊子を作ってお客様に配布しようとの考えが湧いてきたのです。

今年の春から書き始めた原稿がかなり溜まってきたので、小冊子を編纂する前にブログでもって一般公開して小冊子を直接差し上げられない方々に読んでいただきたいと思います。また、小冊子用の原稿以外にも時折病気とは無関係な論文めいたものも息抜き?に挿入していくつもりですので、そちらもよろしくお願いします。異論反論ご意見ご教示等々、是非是非コメント欄にお書きくださるとうれしいです。

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さて、つい脱線が過ぎましたが、元に戻ってまた10年前にさかのぼることにします。

マーカーは正常値になって安定し、CT画像でも肝臓の転位巣は縮小しましたので酵素風呂通いは日に一回に変更して、さらに一か月続けました。ただそのあと完全にやめてしまうのは不安がありました。もし再発したらどうしようって。その先ずーっと通い続けるのは経済的にも時間的にも困難が予想されましたので、いっそのこと酵素桶を一つ買って自宅においてはどうかと杉山さんに相談してみたのです。そうしたら酵素桶は売っていただけるとのことでしたので、買うことにしたのでした。値段は小型乗用車一台分程度でした。ただ、湿気が充満し、ぬかの粉が舞うので家の中に置くのは問題が多く、庭に物置を設置し、その中に納めることにしたのです。メンテのやり方は一週間ほどかけて杉山さんに教えてもらいました。簡単そうに見えても、いざ自分でやってみるとこれが結構難しい。一年くらいは苦労しました。

自宅で入り始めて3年ほど経った頃、5年生存率が0%の私が生き延びているという噂を聞きつけた近所の50代半ばのおばさんが家に来て、酵素風呂に入ってみたいとおっしゃいました。 なんでも最近背中や腰が痛くてたまらず、病院で精密検査してもらったところ、多発性骨髄腫という骨髄の癌と診断されたのだそうです。 後日調べてわかったのですが、この病気は診断されてから死亡までの期間が平均1年程度という恐ろしい病気だったのです。近所の方だったし、私は当時本業として雑貨の輸入卸をやっていたので、お金はいただかないことにしていました。山本さんというそのおばさんは来る日も来る日も私の酵素風呂に通ってみえました。 酵素風呂に入ると痛みがやわらぐのだそうです。

しばらくして相談がありました。 2か月ほど入院して抗がん剤治療をするように医師に勧められたのだそうです。私の癌が良くなったのは確かでしたが、果たしてこの人の場合にも効き目があるかどうかなど全く知る由もなかったわけですが、痛みもかなり軽くなってきている様子なので、もうしばらく酵素風呂を続けて様子をみてみたらいかがでしょうかと提案しました。山本さんは同感ということで、入院は先送りしてそのまま酵素風呂続けることにされました。

私の酵素風呂に通い始めて5カ月ほど経った時点での血液検査の結果、数値が良くなり始めたそうです。それまで経口抗がん剤を服用されていたのですが、ご自身の判断でやめてしまいました。そのころ私は私の命を救ってくれた酵素風呂で人々の役に立つ仕事をしてみたいと考えるようになり、自宅を売却した資金を元手に「米ぬか酵素」を開業したのです。平成14年のことです。山本さんはその後1年ほど毎日酵素風呂に入り続け、今でも元気にお暮らしになっています。山本さんのことがあって私もかなり意を強くしたのですが、必ずしも誰でもうまくいくとは限らないということを後日思い知らされることになりました。

Vol.13に続く。 

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Vol.10から少し脱線が始まりましたが、脱線ついでに現在の我が国における癌医療さらには医療全般に関する私見を述べたいと思います。

言うまでもなく我が国では科学的根拠に基づいた現代西洋医学だけが正統的医学とみなされ、それ以外の療法などは民間療法とか代替医療などと呼ばれ、インチキ呼ばわりされる場合が少なくないのですが、よくよく観察すると、正統とされる現代西洋医学が本当に正しい理想的な医療であろうかどうか甚だ疑わしくなってくるのです。
このことは、生活習慣病やアレルギー性疾患などの慢性的疾病に対する治療方法において顕著と言えます。 例えば、皮膚科ではアトピー性皮膚炎の治療には必ずステロイド軟膏を使用します。実際効果てきめんで、すぐに炎症が治まり、患者さんはかゆみの苦痛から救われます。ところが、しばらく経つと薬の効果は薄れ、炎症は再発します。すると再び薬が必要になる。以後この繰り返しとなり、薬と縁が切れなくなる。塗布を繰り返していると、ステロイドは皮膚に侵潤し、酸化コレステロールに変化し、皮下に沈着します。酸化コレステロールは異物として排除の対象になりますから、さらなるアレルギー反応を引き起こします。したがって、症状はさらに悪化し、時間の経過とともに皮膚は劣化変色し、がさがさになります。女性の場合顔全体がこうなったら悲劇です。問題は皮膚だけではなく、たとえわずかな量であっても体内に吸収され蓄積されたステロイドは全身的に様々な障害を引き起こします。つまり、いくら皮膚科に通っても完治できないばかりか、却って大きく広範な問題を生じさせることになります。

癌医療の場合は、人の生死に直接的に関わってくるだけに事は一層重大です。現在正統医学における癌治療は、手術、化学療法(抗がん剤などによる薬物療法)、放射線療法のいわゆる三大療法が中心ですが、そのどれもが完治、つまり、本来の健康体を取り戻すには程遠い治療であると言えます。と言いますのは、そのどれもが免疫力と自然治癒力を阻害するからです。手術は大切な臓器を切除したり、神経を切断したりするので後遺症が残る場合が多いし、一時的にせよ全身麻酔は神経を麻痺させるので免疫力を低下させます。抗がん剤は血液を汚し、解毒のため肝臓に大きな負担をかけ、健康な組織も同時に障害し、結果免疫力を著しく低下させます。放射線は正常な組織も障害し交感神経を極度に緊張させ、そのためリンパ球が激減して免疫力の低下を招きます。また、再生不能な障害を残す危険もあります。そのために病気そのものはより複雑化し難治化し、あるいは死期を早めたりする場合が多いのです。真に体の不具合を治してくれるのは地球上に生命が誕生して以来38億年もの歴史のある自然治癒力以外にはありえませんから、それを最大限に発揮させる環境を整えることこそが本来行なわれなければならない治療であるはずです。

Vol.12に続く

 

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振り返ってみると、20世紀末から21世紀初めににかけてのこの10年間の主にIT関連の進歩は目覚ましく、情報の移動や保存の処理速度はほとんど加速度的とも言えそうです。ビデオテープはDVDに、DVDはBDに、フロッピーはCDやDVDに、そしてSDカードやフラッシュメモリーへといった具合で、私たちにおなじみの記憶媒体の容量は数十ギガバイトもあるのが当たり前になってきています。同時に小型化と低価格化も進み携帯電話やカメラなど信じられないくらい小型軽量かつ高性能になっています。このまま進化すると10年後にはどうなっているか想像もできません。

医療分野でも内視鏡がハイビジョンになったり、PETとCTを組み合わせて両方の短所をカバーしあうPET-CTなる装置も出現しています。このような技術革新によってがんの検査診断能力は飛躍的に進化し、従来は見落とされていたような細かな病変まで発見されるようになってきています。大変結構な話ではありますが、問題もあります。
次々により高性能な検査機械が発売されると、医療機関側としては新型の機種を導入せざるを得ない状況になります。そうしないと競争に負けるからです。これらの機械は極めて高額ですから借り入れをしないと買えません。 借金を返済するためには機械はフル稼働しなくてはなりません。そうすればどおしても頻繁に検査を行って検査料を稼がなくてはなりません。このような経済的な意図により必要以上の検査が行われて健保財政を圧迫し、患者さんには余計にエックス線を浴びせて発がんのリスクを高めることにもなりかねません。もう一つの問題は、検査と診断ばかりが進歩しても、治療の方法がいまだに欠陥だらけの三大療法に終始するばかりで肝心の治療成績が何ら向上していないという点です。せっかくの早期発見と正確な診断が治癒に結びついていないケースが多いのです。そこには現代西洋医学における根本的な誤りが介在しています。 体験談からは脱線しますが次回ではその根本的誤りについて考えてみたいと思います。

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マーカーの値はその後急速に下降してひと月経たないうちに0.9まで落ちました。それ以降、検査は月に1回になりましたが、結果はずうっと0.9−1.2の間で極めてわずかな変動の範囲に留まっていて、3年後に検査をやめるまでその状態はまったく変化しませんでした。血液検査ではマーカーだけを調べていたわけではなく、健診でいつもおなじみの項目である総コレステロールだの中性脂肪だの尿酸だのの数値も観察していたわけですが、酵素風呂通いを始めてから半年くらいでそれらのすべての数値が正常化したのです。特に総コレステロールなどは、最初290を超えていたのですが、225前後まで下がってしまったのには驚いたものです。

一方、CTの方では、一回は8cmに巨大化していたものが、その一月後の画像ではもとの3cmに戻っていて周囲に散在していた細かいのはすべて消えていたのです。その後も1年くらいは2か月に一回のペースでCTを撮っていました。あまり目立った変化はなかったのですが、その3cmの丸い影は、少しづつ縮小しながら、だんだんと肝臓左葉の内側から縁の方へ移動していくというか、まるで押し出されて行くかのように見えました。先生は、多分癌組織はもうとっくに死滅していて石灰化しているんだろうね・・と言われました。「先生、組織が死んでいるかどうかを確認する方法はないもんでしょうかね?」 「そりゃあ、切って取りだせば簡単に確認できるよ。」と先生。確認したいという欲求はかなりあったのですが、その確認のプロセスはあまり楽しそうではなかったので、それはお願いしないことにしました。 

この主治医の先生は、地元の市立総合病院で外科部長を務めてこられ、今から20年前にそこを退職され、消化器外科を専門とする大きなクリニックを開業されたベテラン外科医で患者に優しい医療をモットーに活躍されている方です。その先生いわく、「今まで二百何十例もあなたと同じ病態の患者さんを診てきたけど、治療らしい治療を何もせずにこんな短期間に治ってしまうことなど一度もなかった。これは本当に奇跡としか言いようがない。」 米ぬか酵素風呂の件は先生にお話ししてあったのですが、そんなものを医師が治療とはみなすはずもないので当然ながらそのようなコメントになるのでしょう。ただし、温熱療法の可能性は認識されていたようで、そのクリニックにもその装置は設備されていましたが、残念ながらついにそれを試すチャンスはありませんでした。 

手術後3年ほどは間隔は伸びたものの定期的に血液検査とCTは続けていましたが、結果はまるで変化がありませんでした。ただ一つだけ変化したのは、CTの機械でした。旧型は一枚撮影するたびにガクンと少し前進してその都度息をいっぱい吸い込んで止めるという儀式が必要で、全部終わるのに30分くらいかかったのが、ヘリカルCTと呼ばれる新型ではまるで螺旋階段を駆け上るがごとく一続きで撮ってしまうのでほんの十数秒で済んでしまう。 この20年くらいの間の検査機械の進歩は本当に目覚ましいものがあります。一昔前までは最先端で非常に高価だったMRIだのPETだのといった検査装置も最近ではあちらこちらに導入され頻繁かつあたりまえに使われています。これはこれで結構な話ではありますが、よく考えてみると、疑問も残ります。

vol.10 に続く。  

 

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さて、50年近く前から最近に至るまでの若干のエピソードを元検事のお話を元に再構成しましたが、このあたりでまた私が10年前初めて酵素風呂に出会った当時からのお話に戻すことにします。

「その場所」に毎日朝夕2回通い始めたのですが、しばらくするとすっかり日課として定着しました。すると不思議なもので、何が何でも行かないと気持ちが落ち着かない。問題は、そこが定休日の時どうするかですが、そのときは他の店を探しました。ただしこの問題は店主の杉山さんのご厚意で、定休日であっても朝は仕込みの作業をするために店にいるので、朝だけ来店してもいいことになったので、お言葉に甘えることにしました。2週間に1回病院で血液検査をしていましたが、その日は半日つぶれるので1回しか酵素風呂に行けない。こんな日は欲求不満になったものです。

その血液検査ですが、毎回、肝機能や総コレステロールだのといった一般的指標を含む数十項目の数値が調べられるわけですが、中でも最も注目していたのは腫瘍マーカーというやつで、私の場合は大腸ガンでしたので「CEA」というのがマーカーの項目でした。CEAというマーカーは特に胃、大腸、S字結腸、直腸といった消化器系のがんによく反応するそうです。マーカーには多くの種類があって、すい臓がんならCA19−9、乳がんだったらCA15−3、前立腺がんならPSA、などのように各臓器、部位によってそれぞれ特異的にその部分のがんの動静をよく示すものがあります。腫瘍マーカーの種類や内容についてはネット上でも詳しく解説されているので、興味のある方は調べてみるとよいでしょう。血液検査で調べられるマーカーはがんの実勢を知る上でとても便利な指標とされていますが、実際には個人差があって、人によってはほとんど、あるいはまったく実勢が数値に反映されない場合もあるようです。私の場合は、何度もCT画像と比較対照した結果、肝臓に転移した大腸がんの実勢はマーカーに如実に反映されていました。最近ではもっぱら基準値(異常と正常の境目の値)が5.0のCEAが使われていますが、私の場合は基準値が2.5でした。 上行結腸(盲腸の上方)切除の時点ではすでに肝転移がありましたので、手術直後のマーカーは基準値を超えていて3.8あり、その2週間後には6.3に上昇。CTの画像では肝臓左葉の下部、胃に接するあたりに約3センチのほぼ真円の明確な黒っぽい影が見られ、その周囲にも5−8ミリ程度の細かい影が点在していました。幸いなことに右葉(左葉よりも大きい)には視認できる影は存在していませんでした。その2週間後のマーカーは8.9に上昇。そしてその次は13.4と着実に上昇を続けました。 

平成10年1月5日に入院、7日に上行結腸切除、同月22日に退院、その後ひと月ちょっとしてから知人の勧めで酵素風呂に毎日朝夕2回通い始めました。 通い始めてから2か月ほど経った時点でのマーカーは、さらに上がっていて18.4になっていたのでした。これには私も失望しました。元検事の爺さんは2か月で治るって自信たっぷりに言っていたのに、やはり眉唾だったのか? 少し不安になってきたのでした。それに主治医からは、幸運にも腫瘍は左葉に集中しているので、左葉だけの切除で治癒の可能性もあるからということで手術を勧められていて、私としては、酵素風呂の成果をみたいからとお返事を先延ばしにしていましたが、5月の連休中には決断することを約束していたのでした。そんなわけで4月下旬はやや落ち込んでいたのですが、そのころ、不思議な現象がありました。時折太ももに電気が走るようなピピッというしびれの感触を感じるのです。また、微熱があるような感じもありました。そんなのは初めての経験で、病気が悪化したせいでは?とまたもや不安になったものですが、この奇妙な現象は一週間くらいで消えました。マーカーは上昇を続けていたのですが、もう二度と手術はしたくないし、このやり方で何とか治してしまいたいと思い、毎日の酵素風呂通いはしつこく続けていて、とうとう約束の5月5日になりました。主治医には申し訳ないと思いつつ、私はやはり手術は受けないという意思を伝えました。しかし、検査だけは引き続きお願いしたいと言い添えました。院長には快く了解いただけました。その一週間後にCTを撮り、同時に連休直前にやったマーカー検査の結果を聞きました。何と前回18.4あったマーカーは、17.6とわずかながらも下がっていたのです。それまでの上昇率から推定すれば、25を超えていてもおかしくないはずなのに・・・。そしてCTの写真を見てまたまたびっくり。それは明らかに異常な光景でした。 左葉の大小様々な影は一つにまとまり、最大差しわたしが8センチくらいに大きくなっていて、形はいびつで、輪郭がややぼやけているのでした。「先生、これ一体どうなっちゃてるんでしょうか?」 「うーむ、こんなの今まで見たことないなあ・・・(そのあと無言)」 いずれにしても、何か大きな変化が起きたのは間違いないようでした。

vol.9に続く。

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夏川検事が実際に笹川氏に出会ったのは国中がロッキード事件で大騒ぎになっていた最中でした。 東京地検は国際興業の小佐野賢治氏や児玉誉士夫氏との親交が知られていた笹川氏に関心を寄せていて、事情聴取のため夏川検事を別件捜査の名目で送り込んだ。 ところがどっこい笹川氏は想像以上の大物で、事件につながる供述は一切得られぬばかりか、逆にすっかり丸め込まれてしまったものでした。ただ、熱海の研究所の件では、夏川検事自身大変お世話になったこともあり、事情聴取などはすっかりそっちのけで、その話題で大いに盛り上がったものでした。 その後の捜査でも笹川氏がこの事件に関与していたということを裏付ける供述も証拠も得られなかったため、このルートの捜査は打ち切られました。

それから数十年の歳月が流れ、夏川検事は定年退官され、しばらくぶらぶらしてから退職金の一部を元手に趣味と実益を兼ねて居酒屋でも始めようかと考えておったが、熱海で出会った酵素風呂のことなどはほとんど忘れかけていたのでした。 そんなある日の夜遅く、酔って大いびきで寝込んでいた夏川氏宅の電話がけたたましく鳴ったのです。寝ぼけ眼をこすりながら電話に出ると「笹川じゃが・・」と電話の主。「笹川だと? 知らんな、いったいどこの笹川だってんだ!こんな夜更に突然失礼な・・・」と元検事。しかし、ハッと気がついて「ひょっとしてあの笹川先生では?」 「あのもこのもない。その笹川じゃ。」 「突然私にいったいどんな御用なんで?」 「実はな、あんたもよく知ってる例の酵素風呂なんじゃがね、わしも年でな、ぼちぼち引退しようかと考えておるんじゃ。今の情勢では、船舶振興会は運輸省の管轄になることは避けられないし、わしもそのほうがよいと思っている。 しかし酵素風呂はどうしても後世に残したいので、誰かに引き継いでもらいたいのだが、あんたが候補に挙がったというわけだ。どうだ、やってくれるか?」 商売人の笹川氏のこと、まさかただでくれることはなかろうと思ったが,念のため「ただでいただけるんでしょか?」と元検事。 「馬鹿を言うな。 いったいその開発にいくらかかっているのか知らんじゃろうが、はっきり言って安くはない。しかし、あんたには払える。そんなことはとっくに調べてあるんじゃ。実家の山を売ればそれくらいの金額になる。」

そんな具合で昔と同じようにまたもやすっかり丸め込まれてしまった元検事は、結局父親名義の山林を勝手に売り払ってしまって、その金で笹川先生から酵素風呂とそれに関わる研究成果とノウハウの一式を買い取って、その仕事を始めたのでした。

vol.8に続く

その熱海の酵素医療研究所ですが、そこでは会員制での営業もしていたそうです。そのオーナーであった笹川氏は政財界はもちろん芸能界にも多くのコネクションがあったのでその方面の多くの方たちが会員になってしばしば酵素風呂に入りにきていたようです。

会員の中には当時はまだお若かった長嶋茂雄さんや森光子さんもいらしてよく利用されていたそうでした。 また日劇ダンシングチームの踊り子さんたちもしょっちゅうみえていたようです。スポーツ選手や俳優さんたちはあくまでも体が資本で風邪をひいたからといって大事な試合や撮影や舞台あるいはテレビ出演などを休むわけにはいきません。ですから、健康の維持はそのような人たちにとっては大切な仕事の一部であるわけです。それにそのハードなスケジュールと言ったら並み大抵ではありませんから、素早く仕事の疲れを取り元気を取り戻しておくことが一般人の何倍も重要な仕事になってくるわけです。

また女優さんでしたら美しいお肌と体形を維持するのも健康の維持と同じくらい重要な仕事のはずです。 このような切実な要求にとって、全身の細胞を活性化して元気にして免疫力を高め、若さを保ってくれる米ぬか酵素風呂は当時としてはかなり高額の会費を支払っても、まさしくこの上ない理想的な手段であったわけです。 不老長寿の方法を模索し、医学の発展にも強い関心を抱いていた笹川氏にとって、この米ぬか酵素風呂の完成は大変喜ばしいことであり、当然ご本人も毎日愛用され、出張の際は必ずご自身の乗られるベンツは酵素風呂を収めたトレーラーを牽引していたそうです。 その結果、晩年になっても自らテレビCMに出演されたりして96歳でその波乱に満ちた生涯現役の人生を閉じられるまで元気にお過ごしになったのでした。

Vol.7に続く



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若き日の夏川検事が連れていかれた熱海市内のその場所は、以前或る大手製薬会社の会長が別荘として所有していたものを、戦犯として拘留されていた巣鴨プリゾンを出所されて間もない故笹川良一氏(笹川氏に関して詳しく知りたい人はは別途検索してください)が買い取って、酵素の研究施設として使用していた建物でした。 酵素の存在と、それが生命の維持ににとってどれほど重要な働きをしているかということに関しては、すでに戦前から数多くの研究がなされていましたが、健康維持や疾病の治療といった実用に供するためにいかにして体内に取り込むべきかという点が研究の最大のポイントでした。 一番簡単なのは、当然経口服用ですが、それだと胃酸でかなりの部分が分解され、効率が悪い。 そこで考えられたのが、全身の皮膚をとおして吸収してはどうかというアイデアでした。 皮膚から吸収なんてことが実際可能なんだろうか?と思われる方がいらっしゃると思いますが、実際人間の呼吸の70%は皮膚呼吸に頼っているし、様々な有害化学物質も経皮毒として皮膚をとおして体内に入り、アトピーやガンの原因になっていることを考えれば理解できるでしょう。 そこで次なる課題としては、いかにして効率よく皮膚から吸収させるかという点になるわけですが、誰でもすぐ思いつくのは「お風呂」にきまってますね。 つまり酵素のお風呂となるわけですが、単純にお湯に酵素を混ぜて入るよりも、もっと濃密に酵素が充満している環境に体を置く方がよいにきまっています。 その環境とは、酵素をせっせと生産してくれる微生物が天文学的に増殖し、同時にそれらが生み出す酵素がいっぱいになる環境となります。 つまり発酵が盛んに進むような条件が必要になります。  この点でいろいろ試行錯誤が繰り返された模様ですが、最初の段階では、おがくずを入れた桶に土壌から抽出した微生物を振り撒いて水を与えて発酵させていたようですが、いまいちパワー不足でしたので、最終的には、わが国に豊富で安価でかつミネラル、ビタミンなどの栄養素が多い米ぬかを使用することになったのです。 また、米ぬかのタンパク質は微生物にとって最高の食糧ともなるわけです。  そこに水と空気を十分に与えて微生物を培養すれば、どんどん増殖し、桶の中は、微生物と、その生み出す酵素とで充満するし、(微生物の代謝物に酵素が混じる、また、寿命が尽きると細胞膜が破れ、中の酵素が環境中に出てくる)同時に発酵に伴う熱(微生物の体温とでも言えましょう)が発生し、米ぬかと微生物と酵素と水と空気が混じったさらさらのパウダーは66度くらいまで熱くなります。 それ以上の70度を超えると微生物は自滅することになるので、当然それ以上には熱くなりません。 66度といってもお湯とは違って空気の混じった粉末ですので体感温度は43−44度となり、さして無理なく15分程度までならじっとその中に埋もれていることができるわけです。 全身の皮膚をとおして酵素、ミネラル、ビタミンを吸収するのが目的ですから、素っ裸で顔だけ残して全身その中に埋もれるのです。 徹底したい場合は、鼻と口だけ残して顔も埋もれてもよいのです。

この熱海の研究所では幾多の試行錯誤を繰り返した後、最も効率よく体温を上げながら酵素を吸収できる米ぬか100パーセントの酵素風呂が完成されたのです。

Vol.6に続く

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この元検事の先生、お名前はそう、とりあえず夏川氏とでもしておきましょう。と言いますのは、それは私がお会いした時点での奥さまの苗字で、それまでに何度も苗字が変わり(離婚再婚を繰り返すたびに)、本名がはたして何だったのか本人も定かではなくなっている模様??戦後間もなく東大法学部を卒業なさって法務省に入省され、戦勝国アメリカの「民主的」司法制度を学ぶため貨物船で渡米、ワシントンで当時のFBI長官(フーバーさんだったか)と対面したそうです。その後帰国されてからはエリート検事としてのキャリアが始まったのですが、柔道で膝を痛められて半年も医者通いをしても一向に改善せず、松葉杖が離せず、たまたま仕事の関係で訪れた熱海駅のホームで大学時代の先輩に出くわすことに。 その先輩曰く、「夏川、そのザマはいったいどうしたっていうんだい?何、膝が痛い?運のいいやつだな。ちょうどいい。俺について来な。そんなもん2週間ですっかりよくなるって。」 何のことかまったくわからぬ夏川検事、それでもここはひとまず先輩の顔を立てるしかないかと判断し、よれよれとついていくことになった。人の出会いとは不思議なもので、まさにそれが彼と酵素風呂との出会いでした。その日から2週間、言われるままに毎日酵素風呂に入ることになり、回数を重ねるたびに痛みがやわらぎ、最初は半信半疑だった夏川検事も「これはいけるかもしれん」と思うようになり、2週間後、見事約束どうり松葉杖なしですたすた歩けるようになったのでした。その後、半年お世話になった医者のところに報告に出向き、「すっかりよくなりました」と言うと、「それはよかったね」の一言だけ。頭にきた夏川検事は「そりゃーねーだろう」とその医者をぶんなぐってしまったそうな。(当然ながら検事にあるまじきこの暴挙は後日省内で問題になったであろうことは想像に難くありません。)

その夏川検事が酵素風呂という見たことも聞いたこともない不可思議な療法と出会い、そしてその驚くべき効果を実感した熱海市内の場所こそが我が国における酵素風呂発祥の地点でありました。

次回Vol.5につづく

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その自称元検事のことですが、実に興味深い人物でした。見た目では、60代半ばくらいかとお見受けしましたが、本人いわく74歳で1歳の子供さんがいらっしゃって、奥さまは38歳でなんと7人目の奥様だそうで、年の差36歳。年齢の割には肌はすべすべでしみもしわもほとんどなく、髪の毛こそ薄くはなっているものの、体格は立派だし、姿勢もいい。そして最大の特徴は、右腕上腕部の骨が無いのに右腕をちゃんと使いこなしているという点でした。それは世にも不思議な光景で、目撃した人は例外なく唖然とします。右肘の関節が存在しないので、そこから下の部分は360度いかなる方向にも向きを変えられるのです。それ自体は至極当然とも思えますが、にもかかわらず右手は完全に使えて趣味の大工仕事も自由自在で器用そのものなのです。お話によれば、仕事で比叡山の付近を公用車で走行中、70メートルの崖下に転落、運転手は即死し、自分は右上腕部複雑粉砕骨折の重傷で病院に担ぎ込まれ、医者の見立てでは、治癒の可能性はないので、肩から腕を切断するしかないとのこと。ところが、彼は腕とさよならしたくなかった。そこで思い出したのは、その昔お世話になった熱海の酵素医学研究所の酵素風呂でした。 
包帯でぐるぐる巻きの右腕を抱え、病院を脱出し、熱海に向かったのです。 来る日も来る日も酵素風呂に入って半年が過ぎましたが、骨だけでなく神経も完全に切断していたので、手は相変わらず、全く動きません。やはりだめか・・と失望感に落ち込みながらも、それでもきっと治ると信じ、入り続けたのです。そうして八か月目に入ったある朝、右手の指先がピクリと動き、これでもう回復すると確信したそうです。その後は確信のとおり順調に回復し、間もなく右手は自由に使えるようになったそうです。   次回に続く。

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